荒木雪葉著『論語における孔子の教育思想と楽』の書評が図書新聞に掲載。 [ 2014/02/14 ]
価値観の変化の中に見だすべき新しい「秩序と調和」の思想
孔子の教育思想とその現代性の意味を深く考察した好著
山口謡司
荒木雪葉著
我々は、どのようにして文明を発展させて来たのだろうか。そして、文化を創り、人としての生き方を守るためには何が必要なのだろうか。
これを孔子の思想によって解き明かしたのが、本書、荒木雪葉氏『論語における孔子の教育思想と楽』である。
儒家によれば、文明が中国で芽生えたという伝説は、伏義が狩猟を教えたという話から始まるのが通例である。
そして、次に神農が農耕を教えた。
はたして、三番目に現れた黄帝は、音楽を教えたとされる。
音楽とは、「調和」を意味するものである。一人ひとりが音程やリズムを守って楽器を演奏し、歌を歌う。皆の息が合えば、素晴らしい音楽が生まれる。
音楽を教えた黄帝の臣下にいたのが蒼頡である。文字が作られることによって、「有史」とされる「文化」が生み出されることになる。
言葉と文字は、おそらく中国の古代においては、「調和」を目的とする不可欠の教養と考えられていたのではないだろうか。
さて、本書は、孔子がこの「教養」をどのように考えていたのか、そしてそれをどのように教育思想として昇華させ、はたしてそれが現代性という意味においていかに生かされるだろうかということを深く考察したものである。
荒木氏の論の優れたところは、まず、孔子の教育の目的は、「士」という新しい階級の勃興と無関係ではない(32頁)と説くことであろう。氏の論はここを起点として貫かれている。
それまで天子、諸侯、卿、大夫、士という階級はあっても、「士」が実際の政治に活躍する現場はなかった。それが、孔子の頃から、実力があれば「士」が大夫として実際の政治に参加できるようになってくるのである。
懐古主義と考えられがちである孔子を、積極的な「士」の活動の足跡として考え、さらに弟子たちにも同じく「士」の本質を政治の上で見せるためにはどのような規範を持たせなければならないかという教育の視点から、荒木氏は論じていく。
例えば、荒木氏は、次のように記している。「孔子が目指す教育は『君子』となることであった。君子とは修養を完成させた有徳者であり、どのような道に進むこともできる、様々な可能性を持つ人である。復古を目指すのではなく、昔の秩序を手本としつつ新しい秩序を求めていた孔子は、既存の秩序を乗り越えるという強い志を抱く者を積極的に教育したのであった」(133頁)。『論語』は、中国における最も古い啓蒙の書であるが、それが生まれてくるためには、やはり時代の変化とともにそれを受け止める「孔子」という特異な階層から生まれた天才が必要だったのである。
宋代以降、「士大夫」と呼ばれる新しい階層が、唐代までの貴族に代って社会を担っていくことになる。
王安石(1021~1086)や程顥(1032~1085)、蘇軾(1037~1101)、朱熹(1130~1200)などによって、それまでの記誦詞章が習いであった儒学に新しく時代に即して解釈した価値観が生まれてきたことを会わせて考えてみれば、孔子が作り上げた「儒」も、これと同じように経済的社会的な変化によって「士」が台頭するに際して起こった新しい思想的動向であったことも明らかになるだろう。
はたして、荒木氏は、このなかで重要な働きをしたとされる「楽」に注目するのである。
音を保存する媒体がなければ、「音楽」は、演奏されたと同時に消えて失われてしまう。唐代に使われたとされる琴の楽譜が敦煌から発見され、現代の琴の演奏がそれを再現しようと試みたものを観たことがあるが、はたしてそれが当時のもののそのままのものかどうかを確かめることはできない。
しかし、それは「音楽」だけではなく、「礼」というものも同じである。「礼楽」という言葉があることの理由は、あるいはそのためであるのかもしれない。「孔子は礼楽を知識や技術として修めるだけではなく、礼楽の成立した精神までも学び取ろうとすることを心がけた。それは当時の貴族階級の学問が形だけを学ぶものであり、礼楽も形骸化していたことを背景として、自己の修養を行って君子を目指するためには強い志を持って礼楽の精神にも通暁することが必要だと考えたからである」(284頁)と記される。
こうした孔子の精神へのアプローチによって、氏は、「多様性を重んじつつも共生することが求められる現代社会においては、礼楽によって象徴される『秩序と調和』をおろそかにしてはならないのではなかろうか」という結論を導き出す。
新しいメディア、社会構造の変化がめまぐるくし変わる現代において、孔子を取り上げることは、ややもすれば保守的なことと考えられる場合もある。しかし、そうした立場ではなく、価値観の変化の中に見出すべき新しい「秩序と調和」という言葉で表される積極的自己の修養を本書が核心にしている点、誠に好著と言うべきである。
(大東文化大学文学部准教授)
図書新聞 2014年2月15日
◎論語における孔子の教育思想と楽
2013.08.10刊 A5判304頁 本体4200円
中国書店
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