書名 : 訳注荊楚歳時記
編著者 : 中村裕一
出版社 : 汲古書院
定価 : 12,000 円
出版年 : 2019/12 月
【「本書の要約」より】(抜粋)
現行本『荆楚歳時記』、すなわち、杜公瞻撰『荊楚歳時記』は『荆楚記』と『玉燭宝典』の記事を採用し、杜公瞻の文章を加えて、「一字上げ」の記事としている。杜臺卿(『隋書』巻五八)は北朝系の官人であるから、『玉燭宝典』には『荆楚記』の記事を引用するとともに、華北の年中行事にも言及がある。杜公瞻は『玉燭宝典』を使いこなすことによって、六世紀の華北と江南の年中行事を総合化して述べる結果となった。杜臺卿や杜公瞻が活躍した隋王朝という時代は、南北の統一が完成した時代であり、杜公瞻の『荆楚歳時記』は南北の統一という新しい時代の到来に合致した年中行事記であったといえる。
宗懍の『荆楚記』や宗懍の『荆楚歳時記』は、江南の一地方である荆楚の年中行事記であるがゆえに、注目度が低く、需要も少なく、『荆楚記』は散逸することとなった。杜公瞻の『荆楚歳時記』は唐宋時代に広範囲に普及し、よく読まれた。宗懍の『荆楚記』と杜公瞻の『荆楚歳時記』の違いは何處にあったかといえば、『荆楚記』が江南の一地方の年中行事記、杜公瞻の『荆楚歳時記』は当時における中国主要部を網羅した年中行事記という点が異なる。…… 古代の日本に『荆楚歳時記』は伝来していた。このことは藤原佐世の『日本国見在書目録』雑伝家部に「荆楚歳時記 一巻」とあり、同書総集家部に「荆楚記 一」とあり、『年中行事秘抄』や『本朝月令』に引用があることから明らかである。古代の日本が『荆楚歳時記』を求めたのは、長江中流域の荊楚地方の年中行事に関心があったためではない。……『荆楚歳時記』は荆楚地方の年中行事に加えて、六世紀の華北の年中行事が記載されており、七世紀の中国の歳時風俗を大観するのに好都合であったからである。古代日本も隋唐から「令」を受け入れ、「令」に基礎を置く当時における近代国家の形成に努めていた。「令」には皇帝支配とそれに関連する年中行事があり、唐国の学習と「令制」に基づく天皇支配制に附随する年中行事を確立するために、『荆楚歳時記』を教本の一として必要としたのである。
【本書の構成】
〇『荆楚歳時記』の記事は、陳継儒(1558~1639)の「宝顔堂秘笈広集」本に従う。
〇『荆楚歳時記』の記事は約五〇条から構成されるがこのうちで一記事を二記事に分割した記事もある。
〇 最初に『荆楚歳時記』の原文を示し、次に読み下し文を示し、次に注記を掲げる。
〇 各記事は、読み下し文と語彙の注解からなり、記事の内容や成立する背景を述べる箇所はない。それゆえに、「附節」の項を加え、記事の背景を理解しやすいように配慮した。既刊の『中国古代の年中行事』の当該箇所と併読してもらえれば、各行事の由来や後世の展開がよく理解できると考えた。
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