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書名 : 劉暁波伝
編著者 : 余傑著/劉燕子編/劉燕子・横澤泰夫訳
出版社 : 集広舎
定価 : 2,700 円
出版年 : 2018/02 月

「心の自由のために、彼は身体の不 自由という代償を支払った。 」
1989年天安門事件、〇八憲章、ノーベル平和賞。
度重なる拘束や監視にもかかわらず中国にとどまり続け、
民主化を訴えた劉暁波とはどのような人間だったのか?!
最後まで彼と行動を共にした若手知識人作家による
劉暁波の人生録。

○劉暁波の略歴
1955年12月28日、吉林省長春に生まれる。文芸評論家、詩人、文学博士(北京師範大学大学院)、自由を求め中国民主化に尽力。
1988年12月から米国にコロンビア大学客員研究員として滞在するが、天安門民主化運動に呼応し、自らも実践すべく予定をきりあげ急遽帰国。
1989年6月2日、仲間3人と「ハンスト宣言」を発表。4日未明、天安門広場で戒厳部隊との交渉や学生たちの無血撤退に貢献し、犠牲を最小限に止める。
その後、反革命宣伝煽動罪で逮捕・拘禁、公職を追われる。釈放後、文筆活動を再開。
1995年5月~1996年1月、民主化運動、反腐敗提言、天安門事件の真相究明や犠牲者たちの名誉回復を訴えたため拘禁。1996年9月から1999年10月、社会秩序攪乱により労働教養に処せられ、劉霞と獄中結婚。
2008年12月8日、「08憲章」の中心的起草者、及びインターネットで発表した言論のため逮捕・拘禁。2010年2月、国家政権転覆煽動罪により懲役11年、政治権利剥奪2年の判決確定。
2010年10月、獄中でノーベル平和賞受賞。
2017年7月13日、入院先の病院で多臓器不全で死去(一説では事実上の獄死)。
著書多数。日本語版は『現代中国知識人批判』、『天安門事件から「08憲章」へ』、『「私には敵はいない」の思想』、『最後の審判を生き延びて』、『劉暁波と中国民主化のゆくえ』、『牢屋の鼠』、『劉暁波・劉霞詩選』(近刊予定)


【目次】

第I部 伝記篇
    序 / プロローグ
第1章 黒土に生きる少年
第2章 首都に頭角を表す
第3章 天安門学生運動の「黒手」
第4章 ゼロからの出発
第5章 僕は屈しない
第6章 「〇八憲章」と「私には敵はいない」の思想
第7章 劉霞 土埃といっしょにぼくを待つ
第8章 ノーベル平和賞 ― 桂冠、あるいは荊冠―
エピローグ 「中国の劉暁波」から「東アジアの劉暁波」へ― 日本の読者へ―

第II部 資料篇
    資料「天安門の四人」の「ハンスト宣言」(1989 年6月2日)
    資料「〇八憲章」(2008 年 12 月 9 日)
    資料「私には敵はいない― 最終陳述―
あとがき



「ぼくは、ぼくの行った事業が道義にかなったものであり、中国はいつかある日、自由で民主的な国になり、あらゆる人が恐怖のない陽光の下で生活するものと信じている。ぼくは代償を払ったけれど悔いはない。独裁国家の中では、自由を追求する知識人にとっては、監獄は自由へ通じる第一の敷居であり、ぼくは既にこの敷居に向かって前進した。自由はそう遠いものではない。」(本文劉暁波の言葉より抜粋)
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「図書新聞」2018年7月28日号に書評が掲載されました。

「人間」劉暁波の諸相を多面的に描出
劉暁波の思想を無条件に是とするのではなく、
冷静で丁寧な分析を進めながら評価していく作業は不可欠

宇野木洋

 旧聞に属するのだが、劉暁波のノーベル平和賞受賞が決
まった直後の2010年12月4日、日本現代中国学会関東
部会は、「劉暁波「現象」をめぐる論争」と題したフ
ォーラムを法政大学で開催した。坂元ひろ子「中国知識人
としての「劉暁波」とどう向き合えるか」、代田智明(17
年10月の逝去が残念でならない)「六四天安門事件と劉暁
波」といった劉暁波の思想内容に対して批判的な立場から
の報告もなされ、参加者からの「劉暁波を批判することは
中国共産党の独裁政治を擁護することになる」(口述の代
田論考参照)といった発言との間で、かなりシビアなやり
取りもなされたようだ。その一端は、代田「書評の太平楽(ていたらく)」
(『中国研究月報』2011年5月号)、石井知章「太平楽
論の体たらく―代田氏に反論する」(同前11年7月号)、
代田「蛸壺のなかのまどろみ」(同前12年5月号)という論
争からも垣間見ることができる。私は京都で所用があり参
加できなかったのだが、後に代田氏より、拙稿「ノーベル平
和賞受賞者・劉暁波の思想に関する一考察―「原点」と
しての「全面欧米化」論」(『季刊中国』10年冬季号)
をも参照しつつ報告準備を進めたと聞かされた。なお、代
田氏は、「蛸壺のなかのまどろみ」においても、私が劉暁
波「幸いなことに自由で裕福で強大なアメリカが存在す
る」を抄訳しつつコメントした参考資料「ノーベル平和賞
受賞者・劉暁波によるアメリカ海外派兵全面支持論文につ
いて」(同前11年春季号)に言及している点も付記しておく。
 長々と記してしまったが、困難な環境の中で屈すること
なく一貫して民主・人権を主張し続けてきた劉暁波の姿勢
には敬服するし、ましてや言論レベルの活動を「国家転覆
扇動罪」という刑法で裁くこと(09年12月、懲役11年の重
刑の判断が下る。4度目の、最後の投獄となった)など、
そもそも許されないという点は大前提としつつも、だから
といって、劉暁波の思想を無条件に是とするのではなく、
冷静で丁寧な分析を進めながら評価していく作業は不可欠
だろうとの思いが、私のみならず、特に人文学領域の現代
中国研究者においては強いのだということを是非とも知っ
ておいてほしいと考えたからに他ならない。またその際に
は、劉暁波に根深い「全盤西化」思想(本書では「全面西
洋化」と訳されているが、アメリカこそが焦点だとも考え
られるので、「全面欧米化」論と訳すべきではないか)を
めぐる問題群が焦点化されていくのもやむを得ないところ
だろう。
 劉暁波の思想は、端的に言えば、アメリカ型の民主と社
会のあり方を唯一絶対の基準・モデルとする傾向が顕著で
あり、その結果、アメリカが同時多発テロへの報復を口実
に決行したアフガン侵攻に対しては、その支持を表明する
「ブッシュ大統領宛の公開書簡」をネット上に発表し、賛
同者を募ったりもしている。その延長線上で、大量破壊兵
器保持の可能性を口実としたアメリカのイラク侵攻(イラ
ク戦争に発展する)に対しても、当初は肯定的な評価を下
していたとも伝えられているのだ。本書においても、「彼は
広い意味で「自由主義者」の中の「英米保守主義者」」「「自
由右派」の立場」といった指摘はあるものの、その意味に
までは、十分に踏み込んでいるとは言えないようにも思わ
れる。
 ただし、本書の意義は劉暁波の思想そのものの分析にあ
るのではなく、「人間」劉暁波の諸相を多面的に描出した
ところにこそあるのは、「伝」という表題からも間違いない
ところだ。一例だけ挙げれば、劉暁波の名前が世間に轟いた
のは「新時期10年文学研究討論会」(1986年9月)に
おける発言を、大学時代の同級生である『深圳青年報』記
者・徐敬亜が新聞記事にまとめたことによるのだが、文革
後10年の文学的営為を全面否定するというこの過激な即興
的発言が、「実際は、彼は長きにわたって入念に準備し、
発言の内容を早くからよく諳んじていた」ものであり、か
なり以前より「この場で人の意表を突く発言をしようと決
めていた」といったエピソードが明確に記されたのであ
る。これを契機に、「文壇のダークホース」との異名が付
いたのだったが、やはり、有名になりたいという自己顕示
欲に裏打ちされた戦略によるものだったのだ。ただ、誤解
してほしくないのだが、私としては、そうした劉暁波の営
為を否定的に見ているわけでは全くない。激動としか呼び
ようのない歴史的変動期に、才気にあふれた青年知識人が
実践するであろう言動が、見事に浮き彫りにされていて痛
快に思ったというのが率直な感想である。その意味で、時
代精神との関連性において等身大の「人間」劉暁波を描出
していく作者・余傑(劉暁波の批判を受けたことを契機に
知り合い、10年にわたって「兄貴分」として慕いつつ交
流してきた反体制的作家。12年よりアメリカに実質的亡
命)の取材力と筆力には、改めて注目しておきたいと思う。
 例に挙げたエピソードその他が80年代のもの、即ち、89
年6月4日未明に起こった「六四・天安門事件」以前の
ものばかりになってしまっているが、それ以降の「08憲章」
に結実される、90年代以降における劉暁波の営為に対して
も、上記のような視点が貫かれていて読み応えがある「伝」
となっている点を、念のため最後に付記しておきたい。
              (立命館大学文学部教授)





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