書名 : 私の西域、君の東トルキスタン
編著者 : 王力雄著/馬場裕之訳/劉燕子監修・解説
出版社 : 集広舎
定価 : 3,320 円
出版年 : 2011/01 月
A5判並製/470頁/3,486円(税込)
『殺劫―チベットの文化大革命』(集広舎刊)の
ツェリン・オーセルの夫、2010年ノーベル平和賞・
劉暁波の畏友、中国民主化の鍵を握る著者が、
「国家機密窃取」容疑による入獄などの艱難を乗り
越え、9年の歳月をかけて新疆ウイグル人の内心と
社会に迫った必見の書。
月をかけて新疆ウウイグル人の内心と社会に迫った必見の書。
刊行以来、大反響!
新聞・雑誌・ネットで続々紹介、書評。
朝日新聞 西部版 文化面 2011.04.05
VIEW (編集委員・中村俊介)
異民族共存の難しさ
王力雄著『私の西域、君の東トルキスタン』
「漢人の前で、彼らは心を固く閉ざしている」。彼らというのは中国・新疆ウイグル自治区のウイグル人たちだ。なにがそうさせたのか。漢族の作家、王力雄氏のジャーナリステイックな視点は、複雑に絡む数々の原因をえぐり出す。
福岡市の集広舍が発行した本『私の西域、君の東トルキスタン』は、王氏が9年の歳月をかけてウイグル人の「本音」を探った約450㌻に及ぶ大作だ。シルクロードの舞台として名高い同自治区では漢族の膨張と社会変容が急速に進み、古くからの住人であるウイグル族との摩擦が拡大しているという。王氏の地をはうような取材と分析は、多民族国家の難しさと共存の遠さを突きつける。
自らも当局に投獄され経験を持つ著者。監獄で出会ったウイグル人の友ムフタルへの長大なインタビューから引き出されるのは、民族存亡の危機と焦燥感に満ちた、ウイグル人の「本音」である。民族の融和を謳(うた)う国のなかで、心の交流が監獄内でしか実現できないとすれば、こんなに皮肉で不幸なことはない。
タイトルにある「西域」とは文字通り、中国中枢部から眺めた西の辺境を指す。一方、「東トルキスタン」は東西に分かつパミール高原に軸足を置いた呼び方だかれ、ウイグル人の視点による呼び名といってよいだろう。二つのアイデンティティが交錯する新疆ウイグル自治区。歴史ロマンの残念に彩られたシルクロードの、もう一つの厳しい現実を知る
ウイグル人との平和的共存を模索する中国知識人の冒険
中国には民主派、親政府派など多様な意見を持つ知識人がいる。だが、そうした多様性も民族問題になると別だ。日ごろ民主化を唱えて政府に批判的な 人でもウイグルの独立問題になると途端に政府を弁護しがちで、少数民族の側に身を置いた意見はきわめて少ない。中華民族としての独特な統一意識やナショナ リズムのためと思われ、同じ傾向は台湾の独立問題に関しても言える。
しかし、本書の著者は例外だ。チベット人など少数民族の独立問題について、フィールドワークを重ねつつ相手の立場にたって平和的共存の道を探ってきた。
本書は1999年から2006年にかけて著者が新疆ウイグル自治区を訪ねた五回の旅を基に書かれている。最初の旅は秘密文書の入手が目的だった が、あっけなく警察に捕まり、拘置所生活を送る。本格的な取材旅行が始まるのはそこからで、拘置所で著者は本書の主人公となるウイグル人の青年ムフタルと 知り合う。以後、ムフタルや彼を通じて知り合った大勢のウイグル人と交流を重ねる。漢民族に憎悪の感情を持つ人も多いウイグル人と打ち解けるのは容易でな く、拘置所体験があったからこそ可能であった。
かくして漢民族の移民や、安定を名目に宗教・民族への弾圧・漢化政策が強化される中、ウイグル人の困窮ぶりや漢民族への憎悪が、限りなくウイグル 人の側に立った視点で描かれている。本書が書かれたのはウイグル人と漢民族の衝突が表面化した09年よりもなかり前であるが、民族間の対立・憎悪が激化 し、テロ活動が起こりうると正確に指摘しえたのは、草の根の取材からにほかならない。
著者はムフタルとの対話を通じて多民族が共存できる道を模索していく。ムフタルは国家安全危害罪で捕まった民族主義者であるが、必ずしも独立にこ だわらないと話すなど、穏健な面もある。ウイグル人のなかにはより強硬に独立を主張する人や中国政府寄りの人もいて、立場によって考え方や事実認識は異な るはずで、ムフタルの認識でどこまでウイグル全体を代表できるかとの疑問は当然起きてくるだろう。しかし、本書は漢民族がウイグル人に対していかに真摯に 向き合うかの軌跡を示した本と言うべきで、客観的にウイグル事情を解説する地域研究書の類とはおのずと異なり、むしろムフタルに親しみ、彼を糸口にウイグ ル問題に切り込んでいったことの意味を読み取るべきであろう。
漢民族の移住や経済開発が進む中で、ウイグル人にとっては伝統文化に加えて生活の安定も損なわれていることが本書からわかる。ムフタルのような本 来は穏健な民族主義者が反政府色を強めるのも安定が奪われる危機感からである。中国政府が民族主義活動を取り締まり、宗教への規制を強化するのは安定の為 として、安定と独立がさも対立する概念であるかのように論じられることがあるが、ウイグル人にとってみれば安定と独立は対立せず、独立できない中で安定が 脅かされているのである。
安定という大義名分が政府の都合のために働くこと。中国の統治についても安定と民主化の二元構造で語られることがある。だが、近年の政府批判を含 む市民社会的な動きが地震・食中毒など生活の安定が脅かされる中で育ってきたように、「民主化か安定か」との対立論も見直すべき時に来ている。「中国の政 治改革の最も重要なチャレンジが民族問題」と書く本書は中国の体制そのものを問うているのだ
週刊金曜日 2011年4月8日 きんようぶんか
麻生晴一郎 あそう せいいちろう/フリーライター
ウイグル問題の多難さ
内容、情報量とともに日本で読める最良の書
イリハム マハムティ
2009年7月のウルムチ事件の報道でウイグルを初めて知った方もいると思うが一般にはまだ知られていない。
またウルムチ事件を知っていても、その原因となった6月26日、広東省詔関でのウイグル人労働者襲撃事件やウイグル人の女性や若者の強制移住については、さらに一般には知られていない。
日本ではウイグルの民族問題に関する書物はまで少ないが、本書は内容、情報量ともに最良の書物である。
本書では著者の王力雄氏が漢人でありながらウイグル人の立場を理解しようとしてウイグル人であるムフタルとの対話を試みていることが最大の特徴である。
従来、漢人の立場からは東トルキスタン(新疆)は古来より中国であり発展する新疆、それに対する分離主義者のウイグル人暴動という視点から書かれてきており、王柯氏の著作『東トルキスタン研究』『多民族国家 中国』がそれにあたる。
王力雄氏は本書で「漢人サークルの中で新疆問題を研究するのは、明らかに馬鹿げている。」と述べている。類書がなく、中国では出版されていないことからもウイグル問題の多難さがわかる。
本書は、「ムフタルとの対話」「ムフタルを極秘に訪問」「ムフタルかく語りき」「ムフタルへの手紙」の4つの章からなる。
まず「ムフタルとの出会い」。王力雄氏はウイグル問題の鍵は新疆生産建設兵団(兵団)にあるとみて兵団の「通達集」を入手し、コピーしたことから公安に逮捕、拘留され拘置所の中でウイグル人、ムフタルと出会うことになる。前後の経過はまさにスパイ劇かドラマのようであり読んでいても引き込まれる。「ムフタルを極秘に訪問」では2003年から2006年にかけての4度の東トルキスタン訪問を記述している、この中では兵団の町などを調査で歩き漢人の兵団の人々へのインタビューをしている。
新疆生産建設兵団はいわゆる屯田兵で14の師団、260万人の人員を要する新疆ウイグル自治区の中のもう1つの政府である。
兵団は漢人からは分離主義に対する防御、ウイグル人からは占領軍とみられている。
兵団については日本語で書かれたものはとても少なく小島麗逸氏が『イスラーム諸国の民主化と民族問題』の7章で統計資料から兵団の新疆経済の支配を分析しているぐらいで、これも貴重な証言である。ウイグル自治区は石油と綿花が二大産業であり「一白一黒経済」(綿花が白く、石油が黒いため)といわれるが兵団は綿花を中心に農業、工業で重要な地位を占めている。
「ムフタルかく語りき」が本書の核心部分であり、ムフタルから見たウイグル問題、ウイグルの歴史、著者の質問により漢人、ウイグル人それぞれの立場での考え、利害などが分かる。
中国の領土ではウイグル、チベット、南モンゴルを併せると6割を占めており、また資源も豊富だが元々は後の4割の領土に住んでいた漢人が中国全体の人口の9割を占めている。
東トルキスタンでは中華人民共和国成立時には漢人の人口は30万人以下であり、人口割合も7%、ウイグル人は76%だった。しかし2009年の統計によれば漢人の人口は841万と激増し、人口割合も約40%一方ウイグル人たちは47%と激減している。
漢人の入植をどうするのかがウイグル民族問題の最大の課題、難問である。
王力雄氏は「ムフタルへの手紙」で自分の考え方を述べている。東トルキスタン独立に対して否定的であり、「チベットのように中道路線をとり自治を目指すべき」と述べているが、漢人が一方的に入植して多数派になれば中国の一部になるのはウイグル人には認めることはできないだろう、と私は考える。
王力雄氏の中道路線だが、チベットにおいてもダライラマと中国との対話が全く進展していないことかも非常に困難である。
(イリハム・マハルティ氏=日本ウイグル協会代表)
パレスチナ化する新疆ウイグルの現実を描く
中国の反体制作家は投獄やウイグル人との交友で何をつかんだのか
楊海英
西域といえば、中国人も日本人も大いにロマンを抱くところだ。喜多郎の哀愁に満ちた音楽とNHKの『シルクロード』の映像は幾多の日本人をかの地に駆り立ててきた。「腰の下の剣を将って、願わくは直ちに楼蘭を切らん」。「黄砂 百戦すれば、金甲 あなをうがつも、楼蘭をやぶらずんば、ついに かえらじ」。このような漢詩をまた「辺塞詩」とも呼ばれ、古来、中国人による西域征伐の軍功をうたった作品である。中国人は辺塞詩を美しいと見るが、西域の人々はむしろ植民地暴力の具現として理解している。
東トルキスタンとは、中国人が西域と称する地の、原住民たちが擁する固有名詞である。しかし、この固有名詞の使用は、今や征服者の中国人たちによって堅く禁止されている。自らの故郷において昔から用いてきた地名を、後からの侵略者によって禁じられるほどの悲哀はなかろう。その悲しみこそが、現在の新疆ウイグル自治区が置かれている深刻な状況を現わしている。東トルキスタンという表現を使えば、「民族分裂活動をおこなう反革命分子」として容赦なく逮捕され、処刑されているのが、事実である。
本書は、中国人の反体制派作家王力雄の作品である。王力雄は最初、中華を愛する民族主義者だった。1980年代には外国の探検隊が黄河を漂流しようとした時、王力雄らは「中国の大河を中国人が先に探検すべきだ」として、経験も資金もない状態で犠牲を払いながら探検を決行した。黄河源流で活動していた時期にチベット人と出会った。チベットは「古くから中国の固有の領土でも何でもなく、独立国家だった歴史的事実」にぶつかる。そして、中国に占領されたチベットが如何なる方向へ進むべきかを綴った名作が『天葬-チベットの運命』である。全身全霊でチベットに身を投じた王力雄の夫人は、チベット人反体制作家のツェリン・オーセルである。オーセル女史の『殺劫シャーチェ』(集広舍、2009年)はチベットにおける文化大革命時期の暴力を映像と証言で伝えている。
王力雄は、その後少数民族への関心を更に広げ、まず新疆ウイグル自治区の実態を把握しようとして東トルキスタンに乗り込んだ。植民地新疆に駐屯する生産建設兵団という屯田兵関連の「秘密資料」を窃取した容疑で秘密警察に逮捕連行される。連日昼夜にわたる過酷な尋問を受ける。その詳しい経緯はまさに驚天動地の大事件の連続である。中国の少数民族地域で調査ないしは取材した経験を持つものなら、一度や二度は同じような境遇に置かれたことがあろう。評者の友人で、現在アメリカの大学で研究生活を送る文化人類学者が内モンゴル自治区で体験した逮捕監禁生活とまったく同じである。尾行と逮捕、そして取り調べ。恐らく、中国にはシステマティックな秘密制度があるのだろう。昨年、尖閣列島(中国名は釣魚台諸島)で日本側が進入した中国人船長を逮捕すると、中国も日本人駐在員も捕らえた事実は記憶に新しい。中国との接触が以前よりも特段に増えてきた今日、いざという時の対策としても本書の第一部「1999年新疆での遭難」を読んでおくべきであろう。
本書の重点は後半にある。西域で捕まった王力雄は、獄中で東トルキスタン出身の一人のウイグル人に出会う。ウイグル人差別に抗議しようとしたことが罪となり、同じ牢屋に繋がれていた。ここから、中国人とウイグル人の対話が始まる。出獄してからもウイグル人の「牢友」との交流は続き、文通したり、再訪して話し合ったりした。その記録が本書の後半に収められている。
ウイグル人は王力雄にいう。「ウイグル人にとっての民族問題は、三つの視点からみることができる」。一つ目は民族主義の視点で国家の独立を求める。二つ目は宗教者の視点で、無宗教者ないしは異教徒の中国人の統治を受け容られない。そして、三つ目は社会的地位の低いウイグル人たちの不満である。この三つの動きに対して、中国共産党は、漢族の民族主義を煽ることで策を講じた。大部分の漢族は無原則に独裁政権に追随し、自分たちが占領した地域の少数民族を抑え込もうと政府に協力している、と王力雄は事実を述べる。イスラームの指導者たちは中央アジアや中東に救いの星の出現を祈念するし、底辺の民衆はテロの手法に訴えでる。著者が危惧する「新疆のパレスチナ化」は現実化しつつある。テロリストは決して道徳意識の欠如した「ならず者」ではなく、その献身行為はむしろ強烈な道徳観に支えられている。その道徳観の圧殺に躍起になっている中国に、民族問題を解決する糸口はまだ見いだせていない。
ウイグル人は新疆にだけ住んでいる民族ではない。鑑訳者の劉燕子氏の故郷、南国湖南省には、唐の時代に西域から移住したウイグル人の後裔がイスラームの信仰を守りながら細々と暮らしている。湖南省ウイグル人の故郷を中国人は「桃源郷」と美称する。東トルキスタンが平和な桃源郷に戻る日はあるのだろうか。
2011年6月11日(土曜日) 図書新聞 より
(静岡大学教授/文化人類学・モンゴル現代史)
1964(昭和39)年、内モンゴル自治区オルドス生まれ。モンゴル名オーノス・チョクト。静岡大学人文学部教授。北京第二外国語学院大学日本語学科卒業。89年3月来日。国立民族学博物館総合研究大学院大学博士課程修了。文学博士。関西外国語大学講師、中京女子大学人文学部助教授、静岡大学人文学部助教授を経て現職。
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