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書名 : から船往来―日本を育てたひと・ふね・まち・こころ
編著者 : 東アジア地域間交流研究会編
出版社 : 中国書店
定価 : 2,800 円
出版年 : 2009/06 月

【近1000年の日本文化の歴史】
私たち日本の伝統文化は、いったいどのようにして出来上がってきたものなのか。特に近1000年間の発展の過程は、いったいどのような歴史をたどってきたのか。このことを考えるとき、欠くことが出来ないのが、中国大陸や朝鮮半島など、海を通じた交流である。中世近世(鎌倉-江戸)の日本は、この東シナ海を往き来した船(から船=唐船、韓船、また日本籍の船もふくむ)によってもたらされた文物および人々、また宗教や文学、音楽などによって、色とりどりに彩られていたのである。 本書は「東アジア地域間交流研究会」の15名の研究者によって執筆されたものであるが、その顔ぶれは、従来の研究分野の枠を超え、歴史学・考古学・宗教学・哲学思想史・文学・芸能史研究など、さまざまな分野の研究者で構成されている。その母体は、文部科学省の特定領域研究「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成―寧波を焦点とする学際的創生―」(平成17年~21年度、代表:小島毅/東京大学大学院人文社会系研究科准教授)を中心とする研究プロジェクトである。そのメンバーは、日本だけでなく中国、韓国、そして欧米の研究者をも含む二百数十名の巨大な研究ネットワークである。 【港町からアジアを考える】 この研究会の重要なコンセプトは、従来の「一国主義的な文化交流図式」の再検討である。これまで「日本と中国」というふうに大変あいまいな説明でしかなかった交流の姿を、たとえば「博多」や「長崎」という各地域レベルにまで掘り下げ、より具体的に把握しようとするものである。また一般的に「首都」を中心に著述され、編集されてきた各国の歴史を、その交流の現場(つまり港)に立って捉え直すことによって、東アジアのそれぞれの伝統文化の成り立ちをよりビビットに感じることができることを主張している。 そのような視点から、対岸の中国の「港町」を考えると、浙江省東端に位置する「寧波(ニンポー)」は、大変重要な都市となる。上海の南、近代以降は江南の一地方都市に過ぎない町であるが、かつて中世においては中国と日本、また朝鮮半島とを結ぶ重要な港町であった。栄西や道元、また画家の雪舟もこの港より中国に入ったのである。また、日本史の教科書では、室町大名の大内氏と細川氏との間で争われた「寧波の乱」(1523年)が特に有名である。
【アジアの中の九州】 本書は、歴史・思想・文学・音楽などまことに多様多彩な視点から、中世日本の伝統文化が語られている。特に本書は九州にお住まいの方々に読んでいただきたい内容が多い。かつて博多(櫛田神社付近)にあった鎮西探題、宗像大社の阿弥陀経石、亀井南冥と原三信、江戸初期の長崎に来日した朱舜水、また長崎の媽祖信仰をめぐる説話(李徳容)や唐人が伝えた音楽(明清楽)、鹿児島県沿岸一体に出土する中国陶磁器など、これまでは地方の郷土史研究のエピソードとして語られていた内容が、実は東アジアの文化交流という大きな潮流の中にあることを理解していただけることと思う。


レビュー
雨宮由紀夫 2009/06/28
書名の「から船」を見て、なぜ「唐船」ではないのか、と思ったものだが、 韓(から)のくにの人々なしには、我が国の文化交流はありえないのであるから、「から船」は「韓船」でもあるし、また、中国、朝鮮はもちろんのこと東南アジアや南洋諸島にまで足跡が及んでいる「からゆきさん」の悲劇を思えば、「から船」の「から」は日本から船出していった「からゆきさん」の「から」でもあること、これまた自明の理である。 かつて航空機のなかった時代、ヒトやモノの移動を担った船の役割は、重要である。「船」という交通手段がなかったら、まさに万里の波濤を越えて、日本列島に大陸文明が伝わることはありえなかった。 「から船」は日本と中国、朝鮮を主とした海域交流、つまりは船舶の往来による文化の交流を表現した造語であると、「編集後記」で静永健(しずなが・たけし 九州大学人文科学研究院准教授 専攻中国文学)は説明しているが、読者は総称としての「から船」に納得する次第である。 本書は五つの章よりなる。思想、文学、歴史学、さらには社会学や民俗学に関する内容をも含んだ16人の気鋭の学究による論考は多岐にわたり、加えるに十分に刺激的である。 わずか300ページ足らずの分量ながら、まさに多方面の多様な研究成果が蓄積されている。以下、キー・ワード的な語句・単語を拾い上げてみた。 漆紙文書、遣隋使・遣唐使、阿弥陀経石、鎮西探題、蒙古襲来、清朝磁器、琉歌、琉球王朝、朝鮮通信使、魏氏明楽、清楽曲「九連環」、中国医学、葬送儀礼、媽祖信仰、唐人町、長崎貿易、薩摩藩の琉球口貿易、シナ通、古代中国人の霊魂観………。 「日本書紀」、「平家物語」、「入唐求法巡礼行記」、「神皇正統記」、「日本永代蔵」、「椿説弓張月」、「大日本史」、「孝経」、「儀礼」、「史記」、「漢書」、「三国志」、「白氏文集」、「金瓶梅」、「今古奇観」、「甲子夜話」、「魯迅全集」………。 博多、長崎、福原、坊津、鎌倉、平泉、堺、寧波、臨安(杭州)、揚州、上海、厦門、安南、東京(トンキン)、普陀山、五台山、大宰府、胆沢城………。 白居易、平重盛、源為朝、源頼朝、源実朝、陳和卿、円仁、法然、栄西、陸象山、王陽明、足利尊氏、北畠親房、今川了俊、王直、鄭成功、朱舜水、水戸光圀、荻生徂徠、新井白石、太宰春台、貝原益軒、滝沢馬琴、太田蜀山人、仮名垣魯文、シーボルト、山脇東洋、岡嶋冠山、前野良沢、藤田東湖、坂本龍馬、魯迅、井上紅梅、増田渉、佐藤春夫、柳田國男、宮本常一、原田大六………。 論考のほとんどはすこぶる専門めき、門外漢たる我々一般読者が咀嚼することは容易ではないと思われるが、静永健は「編集後記」に書いている、「もとよりどの章のどのページからお読み頂いても結構です。中華料理の『円卓』のように、そのご馳走は多種多様で、しかもお好みに併せて何周でも回転するように構成しました」。 前菜にしては歯ごたえがありすぎるが、小島毅(東京大学人文社会系研究科准教授。中国思想史専攻)の「巻頭言――関東圏の船、鎌倉と常陸」に箸をつけてみる。・・・・
歴史上の人物に関わる3艘の船の話が刺戟的で“想像と創造”の幅が拡がるような心持に誘われる。 三つ目は「親房が漂着した船」――。 南北朝の時代。北畠ちかふさ親房は後醍醐天皇の命を受け、北方での勢力挽回を図ることを目的として船で伊勢より陸奥に向かうが遠州灘で暴風雨にあい船団は壊滅し、親房のみが常陸国に漂着する。後醍醐天皇の死去の悲報を聞いた親房が常陸国で綴ったものが「神皇正統記」であるが、日本思想史を専門とする作者は、「もし、この船団が順調に奥州に到着していたら、日本思想史上に燦然と輝くこの傑作は生まれることが無かったかもしれない」とし、「この歴史哲学書が後世に与えた影響によって、日本は中国中心の世界認識と決別していく」と談じ、親房より300年後、常陸国を領地とした水戸藩の二代藩主徳川光圀が編纂した「大日本史」は親房の思想である南朝正統史観を受け継いだものであり、水戸藩における「大日本史」の編纂事業を中心として形成された学風が水戸学であり、特に後期水戸学が幕末の尊王攘夷運動の理論的支柱、明治維新の思想的原動力となり、さらには皇国史観の基礎となったことを、ついには、昭和初期、「かつて遣唐使や遣明船が通った海域には、皇軍兵士を大陸に送り込むための輸送船が往来していた」こと等の日本近現代史の事実を短い文章の中に活写している。 静永健の「編集後記」によると、本書の企画の一つは、文化の交流を「地域(港)」単位で考えるということで、「寧波=博多」の交流の輪はやがて長崎、鹿児島、沖縄などにも発展し、日本各地の港を経由して、最後は東北、北海道にまでつなげたいというのが、本書立案時の最終的な狙いであったという。また、研究者たちは、文化交流の事績を朝鮮半島や東南アジア、そしてモンゴルなど東北アジアの地域まで拡大していきたいと意欲的である。 今年は幕末に開港した横浜や箱館などが開港150年を迎える節目の年である。それらの港はもちろん、上海や香港、基隆、釜山など日本の近代と深いつながりのある外国の港をも対象としての「続編」、「続々編」、シリーズ化を期待したい。









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