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書籍詳細 [前のページへ戻る]



書名 : 中国低層訪談録
編著者 : 廖亦武著竹内実日本語版監修劉燕子訳
出版社 : 集広舎
定価 : 4,600 円
出版年 : 2008/05 月

1989年6月の天安門事件後、4年間の投獄生活。
出獄後、簫を奏で自作詩を詠ずる大道芸を生活の糧としながら、中国の最底辺の人々を訪ね歩く聞き書きの旅へ!
浮浪児、出稼ぎ労働者、乞食、麻薬中毒者、不法越境者、同性愛者、人買い、トイレ番、死化粧師、老地主、老右派、老紅衛兵、スパイ、法輪功修行者、地下カトリック教徒、チベット巡礼者、破産した企業家、冤罪の農民、反戦の反革命分子、「六・四天安門事件」反革命分子……録音もメモもせず、渾身のエネルギーを傾注して人々の本音を聞き出す。

書評および著者紹介
四川大地震 成都から –
大地がくしゃみを連発した
朝日新聞 2008年5月24日
本書著者・廖亦武と翻訳・劉燕子による長文の四川大地震レポートが掲載されました。

「足元が揺れだし、次第に振動が強くなった。ぼくは幼いときに大飢餓で栄養不良になり、頭がやられて普通の人より反応が遅い。地震という言葉がすぐ思い浮かばなかった。周囲のビル群はガタガタと二、三秒震え、か弱い子どもが天と地の間にかかる見えないブランコに置かれているようだった。」
「誤解を恐れずに言えば、これは確かに大災害だが、一つのチャンスにすることもできる。つまり、中国が国際社会にドアを開けるきっかけになりえるのだ。また、マスメディアの自由、言論の自由をもたらすチャンスにもなりえる」
「天才であれ、人災であれ、いかなる災難でも、それを記憶することが文学者の本能である。まだ余震があり現地に入ることができないが、記録しつづけることを責務として、僕は遺族や生存者へのインタビューを始めた。忘却せずに記録するために」


グローバルインタビュー 地震被災地の貧困層を追って 中国の反体制派作家
MSN産経ニュース 2008年06月01日(紹介:福島香織 産経新聞)

「貧困層の被災者に焦点を当てたい」と語る四川省成都の作家、廖亦武(りょう・いぶ)さん=5月19日、四川省成都市温江区(福島香織撮影)
 四川省成都市の反体制派作家で、四川省の貧困層の暮らしや思いを書いたインタビュー集「中国低層放談録」(邦訳版・中国書店、4600円)などの作品で知られる廖亦武氏が四川大地震の被災者インタビューを始めている。5月20日までの産経新聞の取材に対し、今回の大地震で最底辺の貧しい人々がどのような被害にあっているか、貧富の格差と被災格差の関係などについて語った。(成都 福島香織)
 「今回の被災者でもっとも悲惨なのは、出稼ぎ者や物ごいなど、ふだん社会から差別を受けている最低層の人々だ。貧富の格差は被災の深刻度の格差でもある」。廖氏はこう指摘する。
 地震当日、自身のアパートも激しく揺れた。被害の大きさを知るにつけ、焦燥感を感じたという。「震源地の●川(ぶんせん、●はさんずいに文)県は貧しい土地だ。あのあたりの建物は金のある時に1階をたて、また金ができたら2階を建て増す、さらに金ができたら3階を建て増すといった“つぎはぎ建物”も多い。被害は甚大なはず」
 発生当日に都江堰(とこうえん)市まで駆けつけたがブン川県に入れなかった。しかし、その後、ブン川県から都江堰周辺に逃げてきた被災者や遺族に接触、インタビューしたところ、懸念したとおり、貧困地域ならではの問題があったという
たとえば、ブン川県映秀鎮から逃げてきたコンクリート工場勤務の40代の出稼ぎ男性は、「目の前で3階建ての宿舎が倒壊した」と証言した。宿舎は激しく揺れたと思うと1、2階部分が完全に崩れ、3階が地上にどーんと落ちた。「中には4人の同僚がいたが、目の前でぺしゃんこになった」とパニック状態で語ったという。
 「映秀鎮はコンクリート工場が多く出稼ぎ者も多い。そういった出稼ぎ者の宿舎は一般に“つぎはぎ建物”で、ひとたまりもなかっただろう」と廖氏はみる。さらに、「この死亡した労働者らは2カ月分の給料4400元が支払われていなかった。震災で死亡したのをいいことに給料の踏み倒しも起きるかもしれない」と指摘する。
 廖氏は、「大震災は国家をあげて大報道され、建国以来初といえるほどの情報公開が進んでいる」と、震災に対する国家の姿勢を評価するものの、メディアの報道合戦からはこういった貧困層の人々への視点が抜け落ちている、とも指摘した。
 「ブン川県はチャン族、チベット族ら少数民族も多い。最近は民族問題が先鋭化していたので、それが被災者救援にどう影響しているかも気になる」。自らも、親友のチベット族と連絡が取れないという。
 廖氏はトラック運転手などとして働きながら詩や文章を書いた最低層出身の前衛詩人・作家。1989年の天安門事件に関する詩や映像作品を創り続け、4年間投獄されたことがある。
 2001年に浮浪児や物乞い、葬式の楽師・泣き男(葬式で弔いの泣き声をあげる仕事)など、差別や迫害に遭っている人々のインタビューをまとめた「中国低層放談録」を出版した。中国ではすぐ発禁処分となったが最近、日本で邦訳出版が出た。
 同書でインタビューした2人が今回のブン川県や北川県といった被害の激しい地域の出身で、彼らの安否を確かめるためにも連日被災地を巡っている。
「被災者の記録を取るのは文学者の本能。メディアが報道しない被災者の真実を長い時間をかけて追いかけていきたい。それが被災者を支援し、復興を手助けすること」と話した
新聞)
声なき声を聞き、「影の真実」を描く
朝日新聞2008年06月22日付掲載(評者*天児慧早稲田大学教授・現代アジア論)
貧困層インタビューから見えてくる中国
日経PB社 SAFETY JAPAN[書評]2008年09月08日

 大地震、チベット問題、毒入りギョーザ、世界の工場、さらに五輪・・と中国の話題は
 尽きないが、いまひとつ実情がわからない。何しろ十三億人もいる。一人一人の顔が
 見えにくい。その中国の人々の「呼吸、体温、感情および言語様式」を記録した大著、
 それば本書である。やたら面白い。
  登場人物たちがいい。浮浪児、出稼ぎ労働者、乞食(こじき)の大将らの「はみだし者」。
 同性愛者、新々人類、人買いなど「性をめぐる虚と実」の人々。トイレ番、死化粧師、
 老右派、老紅衛兵ら「変転する社会を生き抜いて」きた人。法輪功、カトリック、チベット
 仏教の信者など「暴力と欺瞞(ぎまん)の世界に真実を求めて」いる人たち。破産した企業家、
 冤罪(えんざい)の農民、反戦の反革命分子ら「一寸の虫にも五分の魂」を持つ人々など、
 総勢三十一人がいきいきとしゃべっている。
  浮浪児は「子どもにだって面子があらあ!」と突っ張り、売春婦が「あたしのような高収入の者は、社会的な義務(納税)を果たすべきだわ」とあっけらかん。反革命分子の烙印(らくいん)を押され、倉庫番として暮らす元編集者は「中国人として無念でも、国を愛すべきだ」と苦渋をにじませて語る。どの言葉も、当人の身体の底から発せられている。
  一九七〇年代、スタック・ターケルが百人を越える普通の米国人にインタビューして「仕事!」という書物を著し、ニュージャーナリズムの嚆矢(こうし)となったが、本書は中国版の趣がある。しかし著者の廖亦武はかつて天安門事件に関係したとして、四年間の獄中生活を送り、その後、大道芸を生活の糧にしながら文筆活動を行ってきたというだけあって、人選が的確で、そのやりとりには勢いがある。
  著者は出国許可ももらえないし、本書も国内では発禁だという。だが、ここにある一編一編が、どんな政治家や官僚やビジネスマンの言葉より、中国人のいまを伝えている。私たちとの近さを感じさせる。これこそ文学の、再び米国風にいえが、<ストリート・リット(路上の文学)の力である。
(吉岡忍・ノンフィクション作家)
  2008年6月22日 河北新報、北日本新聞、
  2008年6月24日 京都新聞、山形新聞

 幻想の帝国―中国の声なき声 [著]ギ・ソルマン/
中国低層訪談録―インタビュー どん底の世界 [著]廖亦武
[掲載]2008年6月22日
[評者]天児慧(早稲田大学教授・現代アジア論)■声なき声を聞き、「影の真実」を描く

 いずれの国にも「光と影」の部分がある。「台頭中国」「超大国中国」は光の部分だが、格差・貧困、汚職、環境悪化などは世界を圧倒する影で具体的に目に見えるものである。しかし政治や社会面での影は、当事者や伝達者が多くの政治圧力を受けるため、外からは断片的にしか見えない。出版後亡命を強いられた何清漣の『中国 現代化の落とし穴』(草思社)、発禁になった陳桂棣・春桃の『中国農民調査』(文芸春秋)などは、危険を顧みずあえて国内出版に踏み切った価値ある邦訳本である。そしてここで扱う2冊もまた中国理解に不可欠な「影の真実」を描き出した労作である。

 両著書に共通する特徴は直接のインタビューである。抑圧された無告の民、社会の落後者、反社会的な人々などに彼らは実に精力的に会っている。ギ・ソルマンは特に現体制の批判者、犠牲者・抵抗者に絞り、政治体制の転換を強く意識している。インタビューは78年「北京の春」のヒーロー魏京生から始まり、天安門事件のウルケシュ、エイズと闘う医師・高耀潔、キリスト教徒、法輪功などの指導者、改革の犠牲者である農民、改革の成果を疑う知識人、チベット族のリーダー、台湾の馬英九など、最後にベストセラー作家で「反逆の先導者」姜戎で終わる。彼は中国の未来を革命、崩壊の可能性はなく、民主制への漸進的移行は魅力的だが展望が見えず、独裁体制が続く可能性が高いという危機意識を持つ。党が“声高な中国”を体現しているからこそ、自分は“沈黙する中国”の声を届けねばならないと主張する。が、登場する人々の多くはむしろ代表的な体制批判者たちである。

 これに対して廖亦武の著書はまさに「声なき声」の集成である。浮浪児、乞食(こじき)大将、麻薬中毒者から同性愛者、元の地主や紅衛兵、修行者、破産企業家ら実に31名のインタビューから構成されている。彼らの声からは不条理、絶望、諦観(ていかん)などが響いてくる。光からでは見えない別の「真実」を見ることもできる。貧困な農村から他の農村への人身売買、貧困の滞留である。ある人買いは開き直る。「山奥の水と土はとてもいいから、女の子は化粧をしなくても、みずみずしくて白いほっぺに紅が映える。北方で最も足りないのはこのみずみずしい“商品”だ。独り者があまりにも多いから俺(おれ)がめでたい縁組を結んでやったのよ」。あるいはまた老右派の話には生の人間の息づかいが感じられる。「党を愛するか彼女を愛するか」を問われ、「彼女を愛する」と答え、自分は牢獄(ろうごく)へ、彼女は新疆に流刑され、長い歳月を経て最後は「黒い(反動)夫婦」として幸せをつかむ。著者は「馮おじさん、我々の世代に向けた、家族を大切にせよという心の教育に感謝します」と結ぶ。

 そこには「中国的特色」ではなく、他国人と同様の感性、意識、願望を持つ人間の群れとしての中国人社会が浮かび上がってくる。「特色ある中国」を強いる現実の社会はそうした人々にはむしろ苦渋であり悲劇なのかもしれない。声なき声、低層から見れば中国は多分「普通の国」を求めているのだろう。

    ◇

 『幻想の帝国』山本知子、加藤かおり訳/Guy Sorman▽『中国低層』竹内実日本語版監修、劉燕子訳/リャオ・イウ。




「今の中国を理解する上でお薦めの本はありませんか」。チベット暴動や四川大地震、毒入りギョーザ事件、目前に迫った北京五輪…。話題が尽きない中国への興味からか、最近何度か同じことを聞かれ、その度に自信を持って薦めている本がある。「中国低層訪談録‐インタビューどん底の世界」(中国書店)。掛け値なしに面白い。
 何より登場人物がいい。麻薬中毒者、同性愛者、売春婦、人買い、不法越境者、死化粧師、法輪功修行者、トイレ番…。決して正史には登場しない“はみ出し者”ばかり。総勢31人が生き生きとしゃべっている。どの言葉にも力がある。
 著者の廖亦武(リャオイウ)氏は1989年の天安門事件に関与したとして4年間の獄中生活を送り、大道芸を生活の糧としながら最底辺の人を訪ね歩いたという。まさに、どん底を知る者だからこそ引き出せた証言集であり、ここに本当の中国がある。 (傍示)
=2008/07/21付 西日本新聞朝刊=


松浦 晋也氏
2008年9月8日

「中国低層訪談録」

廖亦武 著
劉燕子 訳
集広舎
2008年5月発行
4830円(税込み)


    北京オリンピックが終了した。

  既に多くの人は理解しているだろう。これからが本番だ。

 改革開放が鄧小平の「豊かになれる者から豊かになれ」という言葉と共に始まって以来、中国は世界経済へ労働力の供給地として、高度経済成長を続けてきた。中国経済のプレゼンスは拡大し、世界に冠たる大国としての中国という意識は、中央政府から一般市民に至るまでに浸透した。

 その自己認識を世界に広げ、自他共に世界の大国となるためには巨大なお披露目のイベントが必要である。それが北京オリンピックだった。

 北京オリンピックを盛り上げるため、中国政府はありとあらゆる権力を総動員した。必要な土地は住民を強制的に立ち退かせて収容した。競技施設は地方から出稼ぎに来た「民工」と呼ばれる労働者により突貫工事で完成した。完成後、民工らは北京から退去させられた。北京オリンピックの施設を建設した彼らは、中国政府が世界に威厳を示すためには都合の悪い邪魔者だった。

 会期中、多くの者が北京から退去させられた。多数いた乞食も、地方の汚職官吏を中央政府に告発するために北京にやってきていた「上訪(陳情のこと)」の人々も、オリンピックにふさわしくないとして北京を離れざるを得なかった。

 中国政府は北京周辺における自動車の交通も規制した。あまりにひどい大気汚染を、会期中だけでも緩和するためだった。テロリストの襲撃を恐れて主要施設には対空ミサイルを配備し、郊外では降雨を制御するためのロケットを打ち上げた。会場近くでは観客を圧倒するほどの警備関係者が動員された。

 オリンピックはおおむね成功したと言っていいだろう。しかし、中国政府の狙い通りに「歴史と文化を誇る、世界の大国中国」を世界に印象づけることに成功したかと言えば、かなりの疑問が残る。

 聖火リレーは、チベットの人権問題との関連で、行く先々でトラブルを起こし、「人権問題を抱える中国」を世界に印象づけた。会期中、北京でこそテロは起きなかったものの、新疆ウイグル自治区では中国からの独立を主張するイスラム教徒によって爆弾テロが発生した。

 開会式テレビ中継で華々しく打ち上げられた花火は、コンピューターグラフィックスだった。美しい声で歌う美少女の声は、別人が歌ったものに口パクで合わせたものだった。

 ここ数年、世界は幾多の中国製品によるトラブルを経験している。有毒の鉛が検出されたおもちゃ、基準以上の残留農薬を含む野菜。パナマでは、ジエチレングリコールが混入した咳止めシロップで死者がでたし、北米では中国原産小麦を使ったペットフードでペットが死ぬという事件が起きている。世界に氾濫する偽ブランド品や著作権無視のCD/DVDは、世界中の人々に「中国はフェアな商取引の相手となりうるのか」という疑念を抱かせている。もちろん我々にとっては、有毒のメタミドホスが混入した冷凍餃子の事件は記憶に新しい。

 少なくともオリンピックは、このような中国の悪いイメージを国際的に払拭するには至らずして閉会式を迎えた。

 熱狂の後には必ずリセッションが来る。既に上海の株式市場は後退局面に入っている。

 そしてオリンピックが終わった北京には、大気汚染と共に彼らが戻ってくる。働く場を探しに民工たちが、生きる場を求めて乞食や浮浪者が、汚職官吏や汚職官吏を放置する地方政府への怒りを胸にした上訪の人々が。

 今後中国がどうなっていくかを考えるためには、これらの人々――経済成長の恩恵にあずからず、貧しさから抜け出すことができないでいる人々――を知ることが必要になる。

 彼らがどんな状況に置かれており、何をどのように感じて生きているのかを理解せずに、中国の未来を考察することはできないだろう。中央政府の政治や、上海や深センといった沿岸地域の経済の状況だけでは、中国の未来は見えてこないはずなのである。

 経済成長の成果を享受することができない人々の実際を記録した本はないかと探した結果、本書に行き当たった。

 本書は中国の貧困層の中に入り込み、同じ目線の高さで彼らが何を体験し、何を感じ、何を考えているかをまとめたインタビュー集である。

 登場するのは全部で31人。浮浪児、出稼ぎ労働者、乞食の元締め、国境不法越境の常習者、売春婦、同性愛者、葬儀の時に泣く伝統的な泣き男、かつての紅衛兵、えん罪で投獄された者、法輪講の修行者、迫害に耐えてきた仏教の老僧侶やキリスト教のシスター――本書の副題「どん底の世界」は伊達ではない。紙面からは信じがたいほどの悲惨さがあふれている。人々は悲惨に打ちのめされたり、耐え難い状況と折り合いをつけてあきらめたり、あるいはあくまで不撓(ふとう)不屈に逆らったりする。

 著者もまた、ただ者ではない。著者の廖亦武(本書では老威というペンネームを使ってインタビューを行っている)は詩人。1989年の天安門事件で事件を扱った長編詩を発表したために、反革命煽動罪に問われて4年間投獄された。その後、簫(笛の一種)を吹き自作の詩を吟じる大道芸人になり、四川省を中心に中国各地を巡り、同時に最底辺の人々の間に入り込んで、本書のような中国庶民の実態をまとめた本を次々に出版している。

 本書は底本となった『中国低層訪談録』(2001年に中国で出版)、同書の台湾版、中国で地下出版された続編の「中国冤案録」(2005年)、さらに著者の手元にあった未発表インタビューを日本に住む翻訳者がまとめたものである。

 著者の本は中国では大きな話題となっているという。当局は著者の本が出版されるたびに発禁処分とするがその都度複数の海賊版が出版され、人々の間に広がっているのだそうだ。

 海賊版は著者の収入とならない。しかし著者の主張を世間に広める助けとなる。余談ではあるが、海賊版により中国の人々が本書を知るというのもまた、ひどく「中国的な現象」に思える。
成都の浮浪児との対話
 本書はいきなり成都の14歳の浮浪児へのインタビューから始まる。著者はそれぞれのインタビューの前文に、インタビューに至った経緯と日時を簡単にまとめている。この張大力(チャン・ダーリー)という浮浪児には1996年1月16日の昼、成都の九龍橋の近くで会ったと記録している。本書のインタビューはすべて日付と相手の名前が記されている。名前については(明記されているわけではないが)仮名を使っている場合もあるようだ。

 著者の文章はかなりインタビュー相手の話し方を忠実に再現したもののようだ。訳文も「おら」「あっし」といった一人称や「ですだよ」のような疑似方言を駆使して、その雰囲気を再現している。また、現場の状況をよりよく伝えるためだろう、「浮浪児」「乞食」「売春婦」といった、最近の日本ではあまり使わなくなった言葉もあえて使用している。

 著者は達者なインタビュー術で、生意気な浮浪児からその生い立ちを聞き出していく。

 張大力の両親は革靴の製造工場で働いていたが、給料が出なくなり革靴の現物支給となった。両親はそれを張に渡し、学校の学友に売ってくるよう言いつける。それは張にとって面子が立たない、耐え難いことだった。

 おれだって、やりかえしたさ。
『大人に面子があるなら、子どもにだって面子があらあ! 靴を売るため、学校さえ行けなくなったじゃねえか!』
 おれは、口答えしているうちに泣いちまった。おやじはおれの心を傷つけすぎたのよ。でも、ヤツになんか分かるわけねえ。学校は大人の社会と同じで、カネがあればなんでもできる。おれのようなリストラされたヤツの子どもは、貧しければ貧しいほどいじめられるのさ。(本書 p.14)

 この短い段落だけでも、我々はさまざまな中国庶民の置かれた状況や、彼らの感性や行動様式を読みとることができる。子どもまでもがこだわる面子への執着。14歳が「カネがあればなんでもできる」という結論に行き着いてしまうほどに社会にはびこっている拝金主義。それは学校にまで入り込み、いじめの原因となっていること。

 「社会からドロップアウトした子どもの歪んだ物の見方だ」では片づけられない、事実のみが持つ圧倒的な迫力がここにはある。

 家出をし、同じような境遇の浮浪児と暮らすようになった張大力は、「親のカネにものを言わせて、弱いものいじめをしていばりちらしている奴」を恐喝することで生計を立てるようになる。彼にとってそれは正義の行為だが、もちろん身勝手な屁理屈にすぎない。

 著者は張に「それは犯罪だ」と指摘すると、彼は「おれはまだ十四歳だぜ。あんだどうするってんだい?」と問い返す。「少年院か少年教護院に送るよ」と答えると、張大力は「成都市全体じゃあ、おれたちみたいな子どもは、ほんとに多いぜ。学校に通っている子もいりゃあ、家出の子もいる。もしぜんぶ捕まえたら、少年院を十カ所増やしても足らねえな。」(本書 p.19)と言う。

 年齢離れした張の主張の背後には、香港や台湾で大量生産されているヤクザ映画の影響がある。街には安くビデオを見せる茶館が多数存在し、そこで張はヤクザ的なものの考え方を学んでいた。それらのビデオの少なからぬ量が海賊版であろうことは容易に想像できる。

 過酷な境遇を生きる少年は、14歳にして大人並みの世間知を身につけている。

老威(著者のペンネーム): 社会では何回も学園の環境浄化キャンペーンを行ったし、しかも、マスコミはけっこう宣伝に力をいれてきたようだ。それでも、君は飯の食い上げにならなかったのかい?
浮浪児(松浦注:張大力のこと): 中国のことだせ。一陣の風のように過ぎていくだけさ。
老威: 「中国のことだぜ」だって! 君は未成年なのに中国のことが分かるのかい?
浮浪児: 大人がいつも茶館で言ってるぜ。耳にタコができてらあ。」(本書 p.21)

 「上に政策あれば下に対策あり」という言葉通りだ。政府はさまざまなキャンペーンを張って政策の浸透を目指すが、庶民は冷めた目でそれを見て、自分なりの対応策で適応し、やり過ごす。そんな中国社会のありようが、短いやり取りからうかがい知ることができる。

 浮浪児・張大力の姿は、日本に暮らす我々にとっても、そう縁遠いものではない。わたしが思い出したのは、かつて一世を風靡(ふうび)したマンガ「あしたのジョー」(梶原一騎原作、ちばてつや画)の冒頭で描かれる主人公・矢吹丈(ジョー)の姿だった。ふらりと浅草山谷のドヤ街に現れた浮浪児のジョーはドヤ街の子どもたちを引き連れて乱暴狼藉を繰り返し、警察に捕まり少年院に送られる。

 張のような子どもは、かつて日本でも珍しくはなかったのだろう。その意味では、著者がインタビューを通じてあぶり出す張の様子は、わたしたちの想像の範囲内にある。

 だが本書は、この後「本当にこのような悲惨さが地上に存在するのか」という事例を次々に紹介していくのだ。

病を恐れ、人を生きたまま焼き殺す
 2005年年末に雲南省の農村で行われた張志恩(チャン・ジーエン)へのインタビューでは、農村部の絶望的なまでの無知が引き起こした悲劇が語られる。

 張志恩は貧しい農民だった。若いときに原因不明・病名不明の病気になる。全身がかゆくなる病気だったが、村人はそれがハンセン病であると決めつけ、恐れ、張をハンセン病専門の病院に放り込んでしまう。別にハンセン病にかかっていたわけでもない彼は、退院が許されることもなく、ハンセン病専門の病院で何年も炊事の仕事を担当していた。

 やがて「いつまでも病院にハンセン病でない者を置いておくわけにいかない」と、退院になった彼は故郷に戻るが、すでに自分が耕すべき田畑はなくなっていた。ハンセン病の病院帰りということでひどい差別を受けた。彼は彼同様にハンセン病と誤診され、強制的に入院させられていた女性と結婚し、彼女の持っていた田畑を耕して暮らすようになる。

 その後、妻がまた病気になる。ハンセン病の症状ではなかった。しかし村人はハンセン病をまた発病したと誤解し、恐れ、ついには病気に苦しむ彼の妻を生きたまま焼き殺してしまったのだ。

 “無実”の女性を焼き殺すことを、誰もが、村を守る正義の行為と思い込んでいる。もちろん公権力も介入しない。それどころか、張志恩は妻を焼き殺されたにもかかわらず、通常の葬儀のように村人に対して食事を振る舞わねばならなかった。

張志恩: (前略)村長が村人を連れて、おらの家に来て、飼っていたブタを殺した。梁にかけていたベーコンも取られた。まだ、女房を焼いたところから煙が出ているうちに、数十メートルしか離れていねえところで、土のかまどを二つ作って、大きな鍋をかけて、一つでは肉を煮て、もう一つではめしを炊いた。空がまだ暗くなっていないうちから松明をつけて、みんなどんぶりを持って、鍋のまわりに集まった。
老威: 村全体で、どれぐらいいましたか。
張志恩: 三十数世帯いて、一世帯から働き盛りの男一人が食べに来た。

 悪夢のような光景だが、村人にとっては生活を守るための当たり前の行為だったのだ。

 著者は張に対して、何度も「それはいつのことか」と問いただすが、きちんとした教育を受けていない彼は、時間の認識があいまいだ。妻が焼き殺された事件についても「10年ぐらい前だったか」としか話すことしかできない。

 我々にはっきりと理解できるのは、1995年ころになっても、雲南省の農村では、ハンセン病に対する差別から、患者と疑われた者が村人によって焼き殺されるというような状況だったということである。

 ハンセン病は、体が崩れていくために近代以前は非常に恐れられた病気だ。日本でも患者を専門病院に隔離し、閉じ込めるという非人間的政策が第二次世界大戦後に至るまで実施されていた。しかし、実際には感染力は非常に弱く、治療法も確立している病気である。張の村にも医師が入り、病気に対する正しい知識を伝えようとしている。

 しかし村人は依然として、ハンセン病を、大蠱龍という毒蛇ののろいであると信じている。張本人も例外ではない。

張志恩: 女房が死んだあと、あいつが縫い上げた新しい布団を捨てるのが惜しくて、ついそのままずっと使ってただ。思いもかけなかったけんど、ある夜、おらは悪夢を見ただ。茶碗ぐらい太え毒ヘビが強く巻きついて、息ができなく、ナタで切ろうといても、腕が痛くて切れなかっただ。(中略)夜が明けると、布団を引っぱりだして、畑の横で燃やしちまった。どうなったと思う? 布団から、なんと、油がしみだしてきて、肉が焦げる臭いもしたもんだ!(中略)
老威: 大蠱龍を焼き殺したのですか?
張志恩: 邪悪なまじないをかけられた布団を焼いただ。(本書 p.64)

 妻を焼き殺されただけではなく、迷信にとらわれて、妻の形見を自らの手で焼いてしまうとは‥‥無知と迷信とが、途方もない悲劇を生み出す例が、ここにはある。


恐るべき「厳打」によるえん罪
 本書には政治に人生を左右された人々も多数登場する。なかでも1983年以降、中国政府が展開した「厳打」というキャンペーンによって人生を狂わされた人は、中国全土では相当数存在するようだ。

 「1983年の『厳打』運動は、中国の多くの家庭にとって悪夢だった。」(本書 p.208)と、著者は書き始める。

 この年、「二王銃撃連続殺人事件」という大事件が起きた。軍で銃の訓練を受けた兄弟が殺人事件を起こし、さらに中国全土を逃げ回り、各地の警察と銃撃戦を引き起こしたのである。

 これを受けた中央政府は「厳重に迅速に犯罪を取り締まる政策」、通称「厳打」という一大キャンペーンを展開した。

 中国の行政システムのような上意下達の組織では。上の言い出したキャンペーンは、「必ず成果を挙げなくてはならない」ものとなる。そして社会主義政策の残渣(ざんさ)で、成果は数字で表すことができなくてはならない。

 その結果、犯罪取り締まりの末端において厳打は「何人の犯罪者を取り締まったか」を競うものとなった。取り調べは正確さを犠牲に迅速化され、司法は簡略化された。その結果、恐ろしい数のえん罪が量産されることとなった。

 本書には左長錘(ズゥオ・チャンチュン)という、辛くも厳打キャンペーンから生還した人物へのインタビューが収録されている。

 2002年4月1日の晩、『“上訪(陳情)”者用簡易旅館』で話を聞いた時にも、彼の心にはまだ恐怖が消え去っていなかった。『厳打キャンペーンでは、司法は簡略化されたのです』と彼は言った。ぼくが『簡略化といっても、どの程度ですか』と尋ねると、彼はこういった。
『警察、検察、裁判所が一つの長椅子の上に並んで座って裁判をするのです。ひどい場合には一本のズボンの中でします。逮捕した当日に、何の証拠もないのに判決を下すのです』」(本書 p.208)

 左長錘は文化大革命時の下放(知識階級の青年が半強制的に農村に移住させられ、労働に従事すること)で雲南省に赴き、その後の改革開放政策と共に成都に戻ってきた知識青年だった。周囲には出会いを求める若い男女が多数いたが、出会いの場がなかった。そこで左長錘はダンスパーティを開催することを思いつく。

 それ自身は、日本の大学で軟派な学生が開催する“ダンパ”と変わるところはない。しかし、1983年当時の成都ではあちこちの役所に許可を得なければ開催できなかったのである。彼は、家の中で無許可のダンスパーティを開催するようになった。

 1983年夏、「二王銃撃連続殺人事件」の引き起こした厳打キャンペーンが最高潮に達していたまさにその時、左長錘のヤミダンスパーティは摘発された。

 警察で、左の受けた仕打ちは、単なるヤミダンスパーティ開催の代償としては重すぎるものだった。

 三日三晩の厳重な取り調べのあと、私たちは『重罪ごろつき輪姦集団』と認定されました。私の指の関節を見てください。みんな変形しているでしょう。これは箸ばさみの刑です。『審妻』という四川の伝統劇に出てくるのがこの刑です。だれがこの刑に耐えられるでしょうか?
 そのうえ、拳骨で殴られ、足で蹴られ、唐辛子入りの水を口に流し込まれました。さらに憎たらしいのは、警察が疲れると、投獄されていた労働改造犯を呼んできたことです(松浦注:著者の注釈によると、官憲は服役者に拷問を行わせることがあるとのこと)。私の生殖器には今でも傷が残っています。タバコの火を押し当てられたものです。無理やりこすって硬くさせ、亀頭を焼かれたのです。(本書 p.212)

 彼には迅速に、死刑の判決が下された。

 私は半年以上も手錠をかけられ、わきの下には傷ができ、炎症を起こし、そこが腐って膿が流れ出ました。しかしなにか書ける機会があれば、手錠をかけられた手で、背中の後ろで冤罪を訴える文書を書きました。(中略)辛抱し続けて、1983年の末、私と王翼(ダンパの共催者)の判決が変更されました。私は無期で、彼は20年になりました。(本書 p.213)

 あまりの仕打ちに耐えかねた彼は、模倣犯を装い、看守の信頼を得て、1986年1月に王翼と共に脱獄する。しかし官憲に負われて2人は川に飛び込み、王翼は水死し、左長錘は捕縛された。彼は重罪犯専用の牢屋に収監される。それは、地下10mに岩をくりぬいて作られた、小さな洞窟だった。

 私はこの中にまるまる4年も閉じこめられました。食事も排泄も睡眠もここでした。お日様を見ることなく、長さ2メートル、幅1メートルの洞窟から出ることはありませんでした。立つこともできず、腰を伸ばすことさえ無理でした。私にとって唯一の運動場は石のベッドで、腕立て伏せをし、あお向けに寝たり、起きあがって座ったり、屈伸をしたりしました。(中略)たとえ一食に二両(200グラム)の飯しか食べられなくとも、天と地がひっくり返ろうとも、目がチカチカしようとも、運動は毎日の必修課題でした。(本書 pp.219~220)

 ひどい環境で彼は体を壊した。中国の制度では、病気になった犯罪者は保証人を立てれば仮出獄できる。無期の刑を受けた左長錘はこの制度を使って、辛くも俗世間に生還できたのだった。

 左の体験は1980年代のことだが、厳打というスローガンは、1980年代から90年代にかけて折に触れて復活し、使われた。21世紀に入ってからも中国政府は厳打キャンペーンを展開しており、2002年にはアムネスティ・インターナショナルが、中国政府に対して厳打キャンペーンによる処刑をこれ以上増やさないようにという要請を出している。
声を上げて汚職を告発したら警官隊が突撃してきた
 中国ではさまざまなトラブルがあった場合、より上級の行政組織に訴え出るのが一般的だ。これを「上訪」という。

 著者が左長錘に会ったのは、成都の「“上訪”者用簡易旅館」だった。このことから、我々は四川省の省都である成都に、上訪の者専用の旅館がビジネスとして成立するほど、上訪者が多いことを知ることができる。

 著者は本書で、そんな上訪者の一人にもインタビューを行っている。2002年4月30日に、著者は四川省蓬安県・中尉村の農民、謝民(シェー・ミン)に話を聞いている。彼は、地元の汚職を告発し、権力から意趣返しを受けて濡れ衣を着せられた知人、闕定明の嫌疑を晴らすべく、成都を訪れていた。インタビューの場には闕定明本人がいるはずだったが、著者曰く「突然また逃げてしまった」。

 闕定明には、なにか逃げねばならない理由があったのだろうと想像させるところから、インタビューは始まる。

 謝民は、いきなり「おらたちは何十名の新聞記者からインタビューを受けただ。自分から進んで中尉村に取材に来た記者さえいるだ。みんな、ありのままに実情を伝えると言っていたけれど、まだナシのつぶてだ」とマスメディアへの怒りをぶつける。我々はこのことから、中国で自由な報道を希求するジャーナリズムが育ちつつあることと、ジャーナリズムへの抑圧が存在するらしいと知ることができる。謝民は「中央に訴えたって、農民を抑さえ込んで搾りとって貪る役人たちは、今でも現役バリバリだ。権力を笠にいばりちらし、民百姓を押さえつけてるだ。裁判ってやつは、時間が長引けば長引くほど、やつらに有利になってる。」(本書 p.328)と嘆く。

 続けて彼は、自分の村で何が起こったかを語る。

謝民: (前略)紀元1998年4月14日の午前、空はスカッと晴れわたっていた。ところが、そんな空の下で、なんと百名あまりの完全武装の公安警察と武装警官隊がパトカーに乗り込み、おらたちの長梁郡に突撃してきただ。道をぜんぶ封鎖し、周囲を水に囲まれた中尉村をはさみ撃ちにしただ。こいつら、盗賊のような武装警官隊の総指揮は蓬安県の『父母の官』という孫明君県長だった。
老威 :君たちは普通の農民に過ぎないのに、どうして県長の逆鱗に触れたんだい。
謝民 :“上訪”したり、帳簿の検査をしたんで報復されただ。(本書 p.329)

 中国の地方行政は、まず省があり、その下に県がある。県長は、日本で言えば市長とか町長といったところだ。つまり、市長が自ら警察の指揮を執って、自分に逆らった村に突撃をかけてきたわけだ。

 中尉村の村民が、帳簿の検査に至った理由は県に支払う人頭税にあった。中国では、農村部の住民に人頭税、つまり人一人あたり定額の税金が課せられる。1996年、人頭税が年間60元からいきなり170元に引き上げられた。

 著者はこの急な税の引き上げを、「上に政策あれば下に対策あり」と読み解く。1997年、中央政府が農民に掛かる税負担の上限を定めた。中央政府の政策は、まず共産党内に知らされてから一般に知らされる。つまり、中央政府から共産党のラインで新しい政策を知った官吏が、その政策が公布される前に駆け込み的に税の値上げを行ったのである。

 これに反発した中尉村の闕定明らは、法に従って県の税収の帳簿の公開を要求した。法の下の平等を求め、“上訪”を繰り返し、県と交渉を重ねた。帳簿の公開を渋る官僚も、渋々公開に応じざるを得なくなった。帳簿の公開が始まった途端、さまざまな問題が発覚した。帳簿に記された数字には、県長など官吏による巨額の汚職の痕跡が歴然と残っていたのだ。

 その途端、帳簿の公開が強制的に停止され、中尉村に警官隊が突撃してきたのである。

謝民 :(前略)警官隊は二手に分かれ、一隊は郷の映画館を包囲し、だまされて連れてこられた村民代表の闕定明、呂長君、謝自為を殴り倒し、両手を後ろ手に縛り、十数丁の自動小銃と拳銃を頭に向けながら、ひとしきり殴る蹴るの暴行をくり返した。

 さらに、三人は後ろ手に手錠をかけられて自動車道路に引き立てられた。その場に居た数十人の農民は、肝をつぶして、あちこち逃げ回りながら、叫んだ。

『捕まえられるぞ!共産党に捕まえられるぞ!』

 蘭副書記が威嚇射撃を命令し、吠えた。

『本日、秘密指令により、公務執行妨害を犯す者は、この場で処刑する。やれば、やるだけ殺すぞ、命令を聞かねえ者がいたら、まず殺し、その後で報告だ!』(本書 pp.333~334)。

 かつて毛沢東の指揮する共産党は、農民の支持を得ることにより国民党との間の内戦を勝ち抜いた。農民の「共産党に捕まえられるぞ!」という言葉から、すでに地方の共産党組織がかつてのような信頼を失っていることが分かる。

 警官隊は、パトカーで田畑に突っ込んで農作物を踏みつぶし、各戸を蹴破って誰彼なく暴行を加えた。

 闕定明らは、さんざんな拷問を受けた後で、強制的に罪を認める供述書に署名させられた。1カ月後、闕定明以外の者は、保証人を立てることで釈放されたが、釈放には以下の条件が付いていた。

一、外部に事件の内容をしゃべらない
二、親戚や友人と付き合わない
三、上訴しない」

 これらを破ると再逮捕、罪は一段上に引き上げられると脅された。

 闕定明は、「衆をなして社会秩序を攪乱した罪」で起訴された。裁判は揉めた。怒った農民らが裁判所に詰めかけ、包囲したからだ。闕定明の弁護人は法に従い無罪を主張し、検察を追いつめた。しかし無駄だった。

謝民: (前略)午後三時過ぎになり、裁判官はあらかじめ用意したお役所式の決まり文句で宣告しただ。『闕定明に懲役4年の刑を言い渡す』
老威: 理由は何ですか?
謝民: 前にも言ったとおり、1998年2月20日に帳簿を検査したからさ。(本書 p.338)

 とにもかくにも裁判が機能し、農民のために立ち上がる弁護士も存在し、法の下の平等を実現しようと努力していることが分かる。と、同時に、少なくとも1998年の段階で四川省の田舎では法律よりも地方権力者の都合が優先されていたということも。

 成都に上訪に来た謝民は、怒りを著者にぶつける。

 この道のりは、どんなに長くても、最後まで歩きぬいてやるだ。最後は“盲流”(家を亡くして漂泊する人々のこと)か乞食になってもいいだ。家と土地を失っても、農民にはこれ以上奪われるものなんてありゃしねえ。投獄するなり、ぶち殺すなり、好きなようにすりゃいいだ。(本書 p.339)


発禁処分が証明する本書の信頼性
 こうやって紹介していくと、本当にきりがない。2段組・全404ページというぶ厚い本書には、このような事例がぎっしりと詰まっている。

 おそらく、本書を読んだ人の感想は、その人が中国に好意を持っているか、危惧(きぐ)を抱いているかで分かれるだろう。

 中国に好意を持っているならば、「本書に収められた事例は、発展を遂げつつある中国のごく一部分であり、そればかりを拡大して中国という国を判断するのは不公正だ」と感じるはずだ。一方、中国に危機感や恐怖感を感じている人は「やはり中国は人権無視の混沌(こんとん)が渦巻いている。こんな国が世界的な大国として振る舞いだしたら大変なことになる」と思うのではないだろうか。

 著者は、インタビュー相手を安心させ、本音を引き出すためだろう、本書に収められたインタビューを、メモも録音もなしに行ったとしている。そのことから、疑いを抱く人もいるだろう。「果たしてこれらのインタビューは真実か。著者によるねつ造はまぎれ込んでいないか。ねつ造と言わないまでも、著者の無意識が記憶を変形して、悲惨さを誇張する結果となっていないか」と。

 本書の底本は、中国において発禁処分を受けている。わたしはこの事実が、本書の信憑性(しんぴょうせい)に一定の保証を与えていると考える。

 中国政府は、出版物を発禁処分にすることにより、情報の流通を阻止することができる。その一方で、「出版の自由を制限する国」という評価を海外から受けるというリスクを抱えることになる。

 本書の内容が、中国の実態に即したものではない場合、発禁の理由は「虚偽を世間に流布した」というものになる。しかし、現在の中国にはある程度の出版の自由が確保されており、インターネットもそれなりに普及している。「虚偽の出版」に対しては、政府が動かなくとも民間からの反発が起きることが予想される。すると、発禁処分のメリットに対するリスクが相対的に大きくなる。

 一方、本書の内容が、中国の実態を暴露したものであるとするなら、「上に政策あれば下に対策あり」とばかりに、民間はむしろ本書の流通に加担するだろう。その内容が国内外に知られたくないものであればあるほど、中国政府にとって発禁処分のメリットは大きくなり、リスクは受容範囲内ということになる。

 中国国内で、本書の海賊版が複数流通しているということも、本書の信頼性を別の方向から裏打ちしているといっていいだろう。海賊版は、第三者が純粋に利益のために出版する。「売れない」と判断された本の海賊版を出す者はいない。

 つまり、中国の人々は本書を読みたがっているのだ。海賊版の入手という危険を冒してまで、虚偽を読みたがる者はいない。明らかに本書は、人民日報や中央電視台といった官制メディアが伝えない、しかし、中国の人々が知りたいと思っている事実をまとめているのである。

 メモ・録音なしの取材も、わたしの過去の経験から言えば、インタビュー直後に原稿を起こせば、100%記憶に頼ったとしても、まず間違いのない内容の原稿をまとめることができる。「メモ・録音なし」ということだけをもって、「著者の無意識が記憶を変形して、悲惨さを誇張する結果となっていないか」と非難することはできないだろう。

 むしろわたしは、おそらくは散漫に話題が拡散することも多かったであろう実際のインタビューから、話し手の意志や状況が的確に伝わる、かくも力強いインタビューにまとめたことに素直に賛辞を送りたい。著者の筆力は大したものである。


    中国の庶民生活のすべてが詰まっている

 とはいえ、本書を「中国貧困層・悲惨な生活実態のまとめ」とだけ読んでしまっては本書の価値を見過ごすことになるだろう。

 本書で、我々日本人にとって最も興味深いのは、インタビューの端々に表れる、普通の中国人のものの考え方、生活様式、日本では知られていない社会的状況などである。本書には中国の庶民生活のすべてが詰まっているのだ。

 例えば、本書の随所に「思想改造」「思想工作」という単語が出てくる。読み進めると、それが弁舌をもって相手を説得し共産党の政策に協力するようにすることだと分かってくる。

 「史記」の記す、弁舌だけで合従連衡を実現した蘇秦の故事からも分かるように、弁舌は中国において重要な社会的機能を持っている。

 それが、ごく普通に「思想改造」「思想工作」と呼ばれているあたりに、中国の人々の生活に、中国共産党がいかに深く浸透していたかを実感することができる。

 そこに、“上訪”農民の謝民が語る、「おれの親父はもう八十歳だ。毛主席が好きで、毛主席は少なくとも幹部が好き放題に村民から奪うようなことはさせなかったと言っている。」(本書 p.339)という言葉を重ねると、中国共産党がどうやって国民党との内戦を戦い抜いたかが、おぼろに見えてくる。

 あるいは、「ハトを飛ばす」という言葉。本書には、都市部で女性を誘拐して、嫁の来手がない農村部へ売り飛ばしていた男が登場する。彼は自分の仕事は「ビジネスである」と胸を張り、「『ハトを飛ばす』は大衆の怒りを買った」と言う。

 「ハトを飛ばす」とは、女性が嫁になるとして農村部に行き、結納金を巻き上げて逃げ帰ることだ。元締めと女性がぐるになって行う犯罪である。彼は、自分は農民をだましているわけではないと自分を正当化する。

 「ハトを飛ばす」という言葉から、我々は一人っ子政策がもたらした適齢期の女性不足が、特に農村部では深刻な状況になっていることを知ることができる。

 あるいは、生涯、屎尿(しにょう)のくみ取りを生業とし、老後を有料トイレの番人として過ごす老人の話。このインタビューはトイレを通じて語る中国民衆の生活史として非常に興味深い。

 1970年代に入り、屎尿のくみ取りがひしゃくから電動ポンプに替わった。ところがある日、何かがくみ取りポンプに引っかかった。汚物に手を突っ込み、パイプから異物を取り出すと、それはなんと堕胎された胎児だった。

 あまりのことに怒る著者に対して老人は言う。

 若いの。そう言えるのは90年代からだ。それ以前の人間で、結婚証明書がなくとも公に病院で堕胎する勇気のあるヤツがいたかい? まさに道徳的な堕落の一大スキャンダルじゃ。だから一時の過ちを犯した女の子は、みんな秘かに堕胎薬を手に入れ、だれにも知られないうちにこっそりとお腹のものを堕ろしたんだ。(中略)公衆便所が堕胎病院だったんじゃよ。」(本書 p.145)

 これだけで、1970年代までの中国における堕胎のありようを知ることができる。

 あるいは、1960年代を文化大革命と共に生きた元紅衛兵へのインタビューでは、毛沢東が指導した文化大革命が、末端の庶民においてはどんなものであったかをまざまざと見せてくれる。末端レベルで紅衛兵の組織は四分五裂し、お互いにテロをかけあう無茶苦茶な状態だった。同じ家族の中でも所属する分派が異なり、同じ家に住みながら家庭内で権力闘争が起きるという悲劇的というより喜劇的と形容すべき状態だったのである


栄光と悲惨さの極端なコントラスト

 本書のインタビューはそのほとんどが悲惨なものだが、ただ一つ、“右派”のレッテルを張られた馮中慈(フォン・チュンツー)へのインタビューは強い意志と背筋の伸びた態度で、読者の胸を打つだろう。

 文化大革命の時代、“右派”とレッテルを張られることは、即ひどい迫害を受けることを意味していた。その状況のなか、彼はかつての地主階級出身の女性に恋をする。当時、地主階級の出身者はそれだけで“右派”と呼ばれ、迫害の対象だった。

 その状況下で、彼は自らの恋を貫き、その女性と結婚する。馮中慈も“右派”とされ、迫害の火の粉が降りかかるが、彼はひるまなかった。

老威: あなたは後悔したことはありませんか。
馮中慈: ない。初めは批判されることに慣れなかった。以前は私が他人を批判していたからな。でもだんだんと慣れてしまった。子供ができると、それで、もっと慣れてしまった。貧しい者が革命を行うのは飯を食うため、服を着るため、妻や子供のためだ。私は革命を行わなくても妻や子供を手に入れた。(中略) もしも良心に背いて文馨(松浦注:妻の名前)を火の穴の中に突き落としていたら、私は一生後悔していただろう。たとえ大臣になったとしても心は穏やかではなかったろう。(本書 p.191)

 当たり前に生きることすら困難であった文化大革命の時代に、敢然と自分の意志を貫いて生きた人もいたのである。

 中国を考える上で、このように極端な栄光と悲惨さのコントラストを避けて通ることはできない。

 中国には日本の10倍以上、13億人を超える人々が住む。そのマスの中から生まれる栄光も悲惨も、日本の比ではない。

 オリンピックの開会式にあったように、紙を発明したのも羅針盤を発明したのも中国人だった(開会式では出てこなかったが、火薬を発明したのも中国人だ。まとめて中国三大発明といわれる)。

 旧ソ連と米国に続き、世界で3番目に有人宇宙飛行を成功させたのも中国だ。沿岸部を中心に1億人近い富裕層が生活するのも、間違いなく中国の現実である。

 しかし、その一方には、本書が描き出すような想像を絶する悲惨さも存在する。その両方を見ていかなければ、中国の実際を把握することはできないだろう。中国政府が隠したがる、悲惨さの実態を記録している点で、本書の価値は非常に大きい。

 同じ漢字文化圏にあるせいか、わたしたちは中国の文化や中国の人々を「理解できる」と安易に思ってしまいがちだ。しかし、実際には、中国の文化や価値観は日本とは大きく異なる。

 本書を読むと、庶民レベルでの感性の違いをインタビューの端々で実感できる。ちょっとした単語、言葉のニュアンスなどから、同じ漢字を使いつつも全く異なる文化のありようを読み取ることができる。

 安易に「同じ漢字を使う者」という感覚だけでは、中国への理解は深まることはない。お互いの文化の違いを直視し、知ることで初めて理解は深まる。

 その意味で、本書は中国に興味がある人や対中ビジネスに携わる人のみならず、日本の将来について考えるすべての人が読むべき一冊だ。

 2007年、日本の対中貿易額は対米貿易を抜いて1位となった。輸入も輸出も右肩上がりに増えている。もはや、日本の将来を考えるにあたって中国の影響を排除することはできない。中国に対する正確な理解なくして、日本の将来を見通すことはできないのである。


生きたコトバをすくい採る

中国「低層」民衆の第一級の“魂の叫び”

書評:廖亦武『中国低層訪談録 インタビューどん底の世界』
2008年6月
前 田 年 昭
編集・校正者、アジア主義研究

『週刊読書人』第2744号 2008年6月27日付掲載

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 著者・廖亦武は,八九年六月の天安門事件の犠牲者を鎮魂する詩作により反革命煽動罪で四年間投獄された経歴をもつ。出獄後,定職に就けず,簫を奏で自作詩を詠ずる大道芸を生活の糧としながら,中国の最底辺の人びとを訪ね歩き,まとめた聞き書き――それが本書である。
 どういう人たちから聞き書きしたのか,抜粋して紹介すると――浮浪児,出稼ぎ労働者,乞食,麻薬中毒者,不法越境者,同性愛者,人買い,トイレ番,死化粧師,老地主,老右派,老紅衛兵,スパイ,法輪功修行者,地下カトリック教徒,チベット巡礼者,破産した企業家,冤罪の農民,反戦の反革命分子,「六・四天安門事件」反革命分子……。 文字とコトバを独占して書き散らし喋り散らしている「知識層」からみればおよそ“了解不能な”“狂気の”コトバが歴史の証言として記されていること自体がおぞましいかもしれない。しかし,ここに記された証言は,めざましい経済発展や華やかなオリンピックと無縁な,文字とコトバを奪われ“存在しない者”とされつづけてきた,十四億人のうち十億人を超える中国の“低層”の人びとの記録である。
 文革期に世界革命を夢見てミャンマーに越境した老知識青年は,すでに異国に骨をうずめた戦友を語り,「死化粧師」は大躍進期の“食人”から文革の武闘の犠牲者までを見送ったと話す。“国境”や“道徳”から「はみ出し」た立場から視える世界が聞き書きを文句なく豊かで面白いものにしている。
 女遊び・唐東昇は文革で「民衆は,みんな自分の性本能を偶像崇拝に転移していた。……文化を消滅し,同時に,性病も根絶した。空前絶後の奇跡だった」と語り,乞食の大将・劉大東は「今じゃ,労働人民は主人公なんかじゃねえ。風水が逆さまに流れているんだ。どうせ苦力は卑しいんだから,徹底的に卑しくなればいい。改革開放ってのは,俺の考えでは,男は乞食になって,女は娼婦になるってことだ。それで貧しさから抜けだせれば,金持ちになる」と喝破する。
 正史,教科書に書かれた歴史は,「強い者が勝つ,勝ったものが正しい」といいくるめる歴史にすぎない。隋の初代皇帝・文帝は歴史を書くことを禁じ,後漢の班固は『漢書』執筆が本格化する前に投獄されたという。正史に対して叛史があるなら,負け続けながらも抵抗精神を失わず生きる人びとの喜怒哀楽も含めた言葉の蓄積がそれにあたるであろう。
 老紅衛兵・劉衛東は,いまや全否定され語ることすらタブーになった文化大革命を賛美してこう言う。
「わしの青春,夢,熱狂とロマンは,みな文革にかかわっている。おまえがどう思おうとも,少なくとも文革初期の一,二年間,人民は十分な自由を,ひいては絶対的な自由を享受したんだ。不自由なのは,走資派で,高級幹部の子弟で,特権階層だった。やつらはふだんは高いところにいて,民間の苦しみなんか知らんぷりをしていた。しかし,今やいかなる政治運動とも異なり,世界が逆転し,やつらにもプロレタリアの鉄拳の味を教えたのだ」
 非情な格差社会を逞しく生き抜く中国の「低層」の人びとの証言は,同じように,個としてバラバラに格差社会に投げ出された日本の私たちの心にひびく。いやそれ以上だ。この狂気こそ正気,叛史こそ正史なのだ。“無告”の民の生きたコトバをすくい採り得たのは,著者が信念をもって闘いつづけている詩人であり,すぐれた“道化”だからであろう。
 明治維新に際して,吉田松陰は狂夫,高杉晋作は狂生を名のり,激動と混乱の政治の季節には正面切って“狂”を肯定した。旧価値観の衰えに焦る旧体制側は抵抗者に“狂”のレッテルを貼って切り返した。格差社会・中国は現在の日本と同様,価値観が混迷し,激動と混乱,変革の前夜にある。
 一読をすすめたい。

第41号 2008.6.25発行 by 矢吹 晋

    中国の「どん底世界」
――『中国低層訪談録』を読む――
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  本書は廖亦武の『中国低層訪談録』(2001年、長江文芸出版社版)、同書の台湾麦田出版社版(全3巻、2002年)および大陸での地下出版『中国冤案録』(2005年)、および未発表インタビューを日本に住む研究者・劉燕子が編訳したものである。劉燕子の「訳者あとがき」によると、著書廖亦武は1958年四川省塩貞県の農村に生まれた。今年50歳になる。80年代は前衛詩人として活躍し、「体制側から与えられる賞」を20余受賞した。天安門事件を告発した長詩「大虐殺」やその姉妹編の映画詩「安魂」を制作し、反革命煽動罪で4年間投獄された。出獄後、職を得られず、獄中で僧侶から学んだ簫を吹く大道芸人として生活を立てながら、中国社会の最低層の人々の声を記録し続けてきた。その際に、録音機やノートなどは一切使わず、記憶力だけに依拠するという。95年には米国のヘルマン・ハメット賞を受賞した。2001年に前掲『中国低層訪談録』を出版し、反響を呼んだが、発禁にされた。翌2002年台湾の麦田出版社から刊行された版本で「自由創作賞」(『傾向』誌)を受賞した。2003年には『中国低層訪談録』のフランス語版が刊行され、2回目のヘルマン・ハメット賞を受賞した。2008年には英語版がランダムハウスから出版された。
 目次を一瞥してみよう。
 Ⅰ「はみだし者」の章に収められたのは、1浮浪児、2出稼ぎ労働者、3乞食の大将、4麻薬中毒者、5ハンセン病患者と誤認された者、6不法越境者、の6名である。
 Ⅱ「性をめぐる虚と実」に収められたのは、7同性愛者、8女遊びに熱中する男、9「三陪(サンペイ)小姐」、10新々人類、11人買い業者、12新疆生産建設兵団女性兵士の息子、の6名である。
 Ⅲ「変転する社会を生き抜いて」の章に収められたのは、13公衆トイレの番人、14死化粧師、15葬儀の楽師兼泣き男、16老地主、17老右派、18老紅衛兵、19「厳打キャンペーン」の生存者、20再開発で立ち退きを命じられた市民、21大陸反攻のために金門島から大陸に潜入して逮捕された者、22胡風(張光人)の囚人仲間、の10名である。
 Ⅳ「暴力と欺瞞の世界に真実を求めて」の章に収められたのは、23法輪功の修業者、24地下カトリック教徒、25百三歳の和尚、26チベット巡礼者、の4名である。
 Ⅴ「一寸の虫にも五分の魂」の章に収められたのは、27破産した企業家、28冤罪の農民、29「上訪」する詩人、30「反戦」を唱える反革命分子、31天安門事件の反革命分子、の5名である。
 
 現代中国史を彩る激動のなかで、運命をもてあそばれ、数奇な人生を生きた、あるいは生き抜いている、ほとんど虫けらのような人々を探し出し、著者は誠実に丹念に、その人生の変転を聞き出す。そこから浮かび上がった31名の老若男女の生きざまは、中国社会の現実とその矛盾を実に鮮やかに抉りだす。評者は文学の門外漢であり、社会科学の徒であるから、ここから「中国社会の諸階級」の底辺、それも一断面を読み取ることしかできないのだが、通常「ルンペンプロレタリアート」の一語で概括されるような、すなわち革命にも役立たず、社会の進歩にもなんら貢献できないとされているような「はみだし者」、「虫けらのような」人生のなかにこそ、現代の神仏が宿るという真理を著者は、紡ぎだしたように思われる。
 Ⅱ「性をめぐる虚と実」に収められた人々は、わが野坂昭如の「エロ事師」と似て非なるものがあり、Ⅳのさまざまな宗教に救いを求める人々のひたむきな姿は、外部からの非難とは逆に、最もヒューマニスティックな群像に見える。これは対象自体のもつ人間的魅力と著者の筆力の合力によるものか。
 評者自身は、陸学芸主編『当代中国社会階層研究報告』(社会科学文献出版社、2002年1月)、陸学芸主編『当代中国社会流動』(社会科学文献出版社、2004年7月)、周暁虹主編『中国中産階層調査』(社会科学文献出版社、2005年8月)のような研究報告に依拠して、中国的高度成長のもとで形成されつつある中産階級・階層を観察し、また李昌平『中国農村崩壊』(原題『我想総理説実話』光明日報社、2002年)、陳桂棣夫妻著『中国農民調査』(人民出版社、2004年1月)などにより、農民の姿をとらえようとしているが、廖亦武のような文学に接すると、改めて文力・筆力に感嘆し、評者の専攻分野がまさにdismal scienceであることを再認識させられる。何よりも本書の主人公たち、そして著者や訳者たちの幸運を祈らずにはいられない気分である。


2009年6月25日
紀伊國屋書店広報誌SCRIPTAの書評連載 「読みびとしらず」:『中国低層訪談録』




紀伊國屋書店が季刊で配布している広報誌スクリプタで、「読みびとしらず」と題した書評を連載しています。今号で取り上げているのは『中国低層訪談録』。1958年に中国四川省で生まれた詩人・廖亦武(りょう・えきぶ リャオ・イ ウ)が、天安門事件を題材にした作品を発表したために東京に捕らえられ、4年間の投獄生活を送ったあと、獄中で習い覚えた簫(しょう=尺八式の伝統的管楽器)を手に地方を渡り歩き大道芸人として暮らしながら、巡りあった庶民の人生を聞き書きした404ページにおよぶ大部のインタビュー集です。


 浮浪児、乞食の大将、同性愛者、出稼ぎ労働者、麻薬中毒者、女遊び人、人買い、トイレ番、死化粧師、老地主、老紅衛兵、法輪功修行者、地下カトリック教徒、チベット巡礼者、破産した企業家、冤罪の農民、天安門事件の反革命分子・・・。登場する31人の”低層の人々”は、日本流の負け組や、格差社会の下部に位置する人間とは、まったく次元の異なる世界に生きる人間たち。
 『春秋』以来、中国の歴史=「正史」とは為政者たちの歴史でした。4000年にわたって中国という巨大国家を下支えしてきたにもかかわらず、まったく顧みられることのないまま、つねに「正史」の外に置かれてきた、圧倒的な数の”庶民”の生活を描き尽くす、これはオーラル・ヒストリーの偉大な成果です。メモもテープレコーダーもいっさい使わない、その取材方法も含めて、脱帽するしかない彼の壮絶な生きざまに、文筆に関わるものとして深く考えさせられました。この夏の必読書に、ぜひ!
 なおスクリプタのバックナンバーは、紀伊國屋書店のウェブサイトでも読むことができます。
 










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