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書名 : 嵐を生きた中国知識人―「右派」章伯鈞をめぐる人びと
編著者 : 章詒和著横澤泰夫訳
出版社 : 中国書店
定価 : 3,800 円
出版年 : 2007/10 月

 十年の投獄から解放されて文筆活動に入るも三冊の著作はことごとく発禁に、それでもなお“中国共産党の政治”を問い続ける。
父をはじめとする被害者たちへの鎮魂の書。


1 有情と無情の間―史良の横顔
2 報道の自由に賭けて―儲安平と父の握手と別れ
3 君子の交わり―張伯駒夫妻と両親の絆
4 最後の貴族―康同璧母娘の印象
5 この人の深い寂寥―聶紺弩晩年の断片
6 見果てぬ夢の果てに―羅隆基の素描


著者紹介
章詒和[チャンイホォ]
1942年、重慶に生まれる。63年、中国戯曲学院戯文系卒業。その後、四川省川劇団芸術室に配属されたが、69年、「現行反革命」の罪で投獄された(刑期20年)。文化大革命収束後の78年に出獄し、中国芸術研究院戯曲研究所研究員となり現在に至る。中国民主同盟盟員

横澤泰夫[ヨコサワヤスオ]
1961年、東京外国語大学中国語科卒業。同年、NHK入局。報道局外信部記者として、中国を中心にアジア地域関連のニュース、番組の取材、制作に当たる。72年、香港駐在特派員。のち、報道局外信部、福岡放送局のニュースデスク、国際放送ラジオジャパンの東南アジア向け、東アジア向け放送の統括などを担当。94年より熊本学園大学外国語学部東アジア学科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 十年の投獄から解放されて文筆活動に入るも三冊の著作はことごとく発禁に、それでもなお“中国共産党の政治”を問い続ける。
父をはじめとする被害者たちへの鎮魂の書。


1 有情と無情の間―史良の横顔
2 報道の自由に賭けて―儲安平と父の握手と別れ
3 君子の交わり―張伯駒夫妻と両親の絆
4 最後の貴族―康同璧母娘の印象
5 この人の深い寂寥―聶紺弩晩年の断片
6 見果てぬ夢の果てに―羅隆基の素描



【土・日曜日に書く】中国総局・福島香織 さまよえる中国式「民主」
2007.11.11 03:01

このニュースのトピックス:中国
 ≪デモクラシーと違う?≫

 先月、北京で5年に1度の大政治イベントが繰り広げられた。その中国共産党大会(第17回)で、胡錦濤総書記が読み上げた政治報告には、「民主」という文言がじつに60回余りも登場した。社会主義民主、民主的立法、民主的監督…。 この「民主」、報告書の英語版では「デモクラシー」と翻訳されていたが、概念がちょっと違うようだ。

 中国式の「民主」ってなんだろうと、ふと思ったのは、半世紀前に民主政治を目指しながら、毛沢東に排斥され、挫折した中国民主同盟第一副主席、章伯鈞(しょうはくきん)氏と彼をめぐる人々の回顧録『往事不如煙』の邦訳版『嵐を生きた中国知識人』(中国書店)が最近出版され、それを読んだばかりだったせいもある。著者は章伯鈞氏の末娘、章詒和(いわ)さん(65)だ。

 先日、邦訳版出版のお祝いを伝えようと詒和さんに会った。そのとき「胡錦濤氏の民主と、お父上(伯鈞氏)の言っていた民主は違いますよね」と、聞いた。

 詒和さんはちょっと笑って「父ら知識人たちが主張した民主、庶民の望む民主、党大会の政治報告で書かれた民主、実際に胡錦濤政権が行うことができる民主。中国には4つの民主があって、全部意味が違うし、その違いは結構大きいわ」と答えた。

 ≪右派のレッテル≫

 章伯鈞氏は、新中国建国以前からの民主諸党派のリーダーの一人であり、新中国建国にも貢献して交通相も務めたことのある政治家だ。57年5月には、共産党独裁を防ぐため共産党外組織を「政治設計院」として政治参加させる一種の多党制構想を提言した。

 毛沢東は56年、党と異なる意見や理論を自由に発表させ論争させるべきだと「百花斉放・百家争鳴」を呼びかけ、57年2月には党外人士からの党批判を求める「整風運動への指示」を出した。章氏はそれに応え、社会主義体制のなかで行える民主政治システムを訴えたのだった。

 しかし57年6月8日、毛沢東は、この呼びかけに応じて「党批判」を行った知識人・文化人をやり玉にあげる「反右派闘争」を開始。章氏の考えは「共産党と社会主義体制への攻撃」とされ、“筆頭右派”のレッテルを張られて失脚した。

 反右派闘争では55万人の知識人・文化人が失脚、迫害を受け、章氏を含む5人がいまだ名誉を回復されていない。詒和さん自身も文化大革命時代に「反革命罪」で10年間投獄され、今も当局の監視対象だ。著書はすべて禁書扱い、海外に出るのもままならぬ状況である。

 「知識人の民主」が50年前に挫折して以来、共産党独裁による長き厄災が始まった。大躍進、文化大革命、天安門事件…。国民の不満を緩和しようと経済の開放を行ったはいいが、党の独裁が維持されたままなので党幹部が肥太り、庶民が搾取され、人々の求める民主的権利が踏みにじられた。失業、貧困、そして迫害・排斥。不満は暴動、抗議活動の頻発という形で表面化してきている。

 ≪エリツィン待望論≫

 今回の党大会では、こういった社会矛盾を緩和すべく民生重視を掲げ、党内の相互監督で汚職や腐敗を防ぎ、自浄を促す「党内民主」を強調した。しかし、それすら胡錦濤政権が実施できる「民主」ではない、と詒和さんはいう。

 「中国のように、国家の利益を一政党がかくも独占している例は世界中どこにもない。利益を守るために共産党は軍、大学、メディアの掌握に全力を傾けてきた。その利益を今更自ら放棄するまねなどできますか?」

 胡錦濤政権が目下できそうなのは、経済というパンと五輪など国家イベントというサーカスによる国民の歓心への迎合を「民主」と名付けるくらいだろう。

 では、中国に「第5の民主」はあり得ないのだろうか。安徽省政治協商常務委員の汪兆鈞(おうちょうきん)氏が胡錦濤総書記あてにインターネット上で最近発表した公開状がかなり話題になっている。

 「中国にエリツィンが必要だ。胡錦濤氏ら党中央指導層からエリツィンが出ないなら、地方、民衆からエリツィンが登場するだろう…」

 旧ソ連を解体し、民主主義を推進した一方で経済を破綻(はたん)させた前ロシア大統領には否定的な評価もあろうが、思い切った改革者の登場を待つ声は確かにある。「胡錦濤氏は政治の過渡期に現れた一人物にすぎない。だからもう5年待ちましょう。それからもう5年…」と詒和さんはつぶやく。半世紀余、さまよい続けている中国式民主の理想は、いつ、実現するのだろうか。(ふくしま かおり)

「西日本新聞」(07/11/25)読書館・書評

『嵐を生きた中国知識人』 章 詒和 著
たましいが洗われる

評者: 竹内 実(京都大学名誉教授)

 新しい中国が生まれ、やがて「百花斉放、百家争鳴」というスローガンのもと、自由多様な芸術や学術が奨励された。そのうえ、政府や党(中国共産党)にたいする批判や提言まで求められるにいたった。
 はじめはおそるおそるだったが、批判はしだいに調子がつよくなり、中国共産党は「天下をわがものにしている」といった発言もとびだした。
 すると、一転して、中国共産党はこれらのひとを「右派」として非難する攻勢をとった。批判の集会ばかりでなく、新聞や雑誌でキャンペーンを展開したのである。まず槍玉にあがったのが、章伯鈞、羅隆基といったひとで、本書は章伯鈞の次女、章詒和による手記である。
 章伯鈞たちは戦争中は臨時の首都・重慶にあったが、国民党の腐敗にあきたらず、自由主義的な大学教授や弁護士を結集、民主同盟をたちあげた。ほかにも九三学社など小規模ではあるが政治結社が生まれた。大学教授だった聞一多は民主同盟に参加し、国民党のテロによって、いのちを失った。新中国の成立にあたって、これらの団体は予備会議(政治協商会議)に参加し、政治活動をみとめられていたが、「右派」としてレッテルを貼られると、政府支給の手当は減額され、行動は制限され(旅行や外国人との接触禁止など)、その生活まで困窮するにいたった。章詒和はもっぱら自分が経験し、目撃したことがらにかぎって叙述している。大河小説のように、収録された六篇が、それぞれ独立しながらつながり、生半可の小説家には及びもつかない珠玉の文章がつづられ、父の最大の罪状としてあげられた「章伯鈞・羅隆基の政治的同盟」が事実無根の冤罪であることをみごとに立証している。虚飾のない原作・原注に横澤泰夫氏の訳文・訳注も適切。
 たましいが洗われる一冊である。


「北海道新聞」(08/1/27)書評

「嵐を生きた中国知識人」 章 詒和著 1942生まれ。
中国芸術研究院戯曲研究所研究院。

           反右派闘争の真実問う

評: 諸星 清佳(ジャーナリスト)

 北京五輪開催に向けて高度経済成長をひた走る中国。最高実力者だった[登β]小平が推し進めた改革開放路線は、完全に定着した。では、政治はどうか。一九四九年の建国以来の一党独裁体制が、相変わらず続く。一党独裁は、誤った政策をとっていても、何のブレーキも利かないことが最大の欠点だ。毛沢東主席の死語やっと、数々の粛清事件の冤罪者の多くが名誉回復したが、五七年の「反右派闘争」は[登β]小平が責任者だったため、基本的には正しいものとされ、現在でも五人が「右派」のままである。
 本書は、この闘争で「右派」のレッテルを張られた五人の一人、章伯鈞の娘の回想録だ。反右派闘争はその前年、国民に言論の自由を認める方針を出
したはずの中国共産党が、突然態度を豹変。批判者たちを「右派分子」として断罪、農村での強制労働に送ったという事件だ。一度は言論の自由を認め
たものの、統治に対する批判が予想以上に多く噴き出したことで、当局が警戒を強めたのだ。
 共産党の一党独裁を批判した儲安平は、知識人の新聞「光明日報」の社長・章伯鈞に請われて同紙の編集長になったジャーナリスト。ところが会議で発
言した「党の天下(一党独裁)」批判が反右派闘争の開始で問題視され、在職わずか六十八日で辞職願を出さざるを得なくなる。北京郊外で強制労働に従
事した後、文化大革命になると、「右派分子」ゆえ再度、紅衛兵につるし上げられ、行方不明になる。行き過ぎた粛清運動の、えん罪者を救えと訴えた
羅隆基もまた、章伯鈞と組んで中共の転覆を企てたとして「右派」とされる。六五年十二月、自宅のベッドで病死するが、翌年始まった文革で何物かが彼
の骨つぼを奪い、行方は現在でも分かっていない。
 著者は本書を含め三冊の回顧録を出しているが、本書は初版以後発禁。ほかの二冊も発禁処分を受けている。反右派闘争は今でもタブーなのだ。一党独
裁下では憲法をねじ曲げてでも、言論の自由は認めない。経済的成長の裏には、日本とは根本的に異なる体制が存在することを忘れてはいけない。横沢泰
夫訳。

「熊本日日新聞」(08/2/24)書評

「嵐を生きた中国知識人」 章詒和著、横澤泰夫訳
激動の時代の鎮魂の書

評: 矢吹 晋(横浜市立大名誉教授)

 一読して深い感銘を禁じ得ない。いわゆる反右派闘争は、毛沢東が犯した二大失敗(大躍進運動と文化大革命)の原点である。共産党に協力して統一戦線の一翼を担い、四九年革命において大きな役割を果たした民主同盟の知識人たちは、一九五〇年代後半から「狡兎(国民党)死して、走狗(民主同盟)煮らる」のごとく、「右派」の烙印を押され「贖罪の山羊」とされた。
 著者の父・章伯鈞は初代交通大臣に就任したが、「政治設計院」を主張したカドで、章・羅同盟の頭目(文革期の劉少奇・[登β]小平ラインが想起される)として解任された。反右派闘争で失脚した人々の運命を見つめる著者の眼は暖かく鋭い。まさに被害者たちへの鎮魂の書だ。
 各章では、抗日七君子の一人で、新中国の初代司法大臣に就任した史良のほか、共産党独裁を「党の天下」と批判して失脚した儲安平、作家で胡風事件に連座して「留党観察」処分を受け、党籍を剥奪された聶紺弩、民主同盟副主席の羅隆基らを取り上げ、それぞれに魅力的な横顔を鮮やかに描き出す。
 訳者後記によれば、著者は二〇〇四年に中国独立作家ペンクラブから表彰を受けた際、「私たちはまさに一つの専制の中から歩み出し、もう一つの専横の中に落ち込んでいくようなものだ」と語っている。つまり著者は、四九年革命とは「国民党の専制から脱して共産党の専制に陥ったもの」と考えているのだ。
 著者はまた訳者に本書の核心は「中国共産党政治」の解剖だと説明した。なるほど文化大革命史だけを見ると、それは呉[日含]批判から始まるが、実は民盟左派を代表して羅隆基批判の口火を切ったのは、呉[日含]その人だ。羅隆基を「羊の皮をかぶった狼」と真っ先に告発したのは、十年間同棲した浦煕修だが、やはり右派の運命を免れない。再び「狡兎死して、走狗煮らる」の酷薄な世界だ。父は娘に諭す、「これが中国官界の古くからの伝統なのだよ」、「毛沢東は、皇帝になったのだ」。中国政治の現実を知る必読の書として推したい。







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