書名 : 日中芸能史研究
編著者 : 越智重明著
出版社 : 中国書店
定価 : 8,800 円
出版年 : 2001/10 月
日中芸能史研究
越智重明著
B5精上製675頁
2001.10
8800
4-924779-61-X
第1編 中国の音楽
古楽から新楽へ/漢時代の庶民の娯楽
第2編 中国の芸能
中国のサーカス史一斑/中国の綱渡り/巫と雑技/少林
寺拳法と雑技
第3編 日本の芸能
日・中の散楽-新猿楽記の出現をめぐって/信西古楽図を
めぐって/でこ廻しとひさご/江戸繁昌記の雑芸能/明治
前期の民間芸能一斑
日本図書館協会選定図書
●書評
充実した内容と価値を備えた遺稿集
日本人に大きな価値をもつ
資料重視の実証を基本的な方法として
諏訪春雄
九州大学と久留米大学で中国史を講じた故越智重明氏
の遺稿集である。遺稿といっても、越智氏が生前に編集
を終え、一部分は初校にも眼を通しておられた段階で急
逝された。同僚、後輩、教え子が、その後をうけて刊行
を完成した書である。多数の人々の善意と奉仕にささえ
られて世に贈られた書であり、それにこたえるだけの充
実した内容と価値を備えている。日本の芸能史や演劇
史を日本だけでかんがえてもその本質をとらえることは
できない。このような自明なことでも、研究上で実行にう
つすことは容易ではない。日本の研究者は中国の芸能
史や演劇史にうといからである。じつは、両国の芸能史
やを比較の視点でとらえることは、日本の研究者にとっ
て有益であるだけではなく、中国の研究者にとっても大き
な意味をもっている。伎楽、雅楽、ある種の人形芸など、
すでに中国はうしなわれて日本にしかのこっていない芸
能、また、両国にいまみることができて も、翁芸、三番
叟など、中国を母胎として誕生した芸能の発展形態、完
成形態が日本にのこっているもの、が存在するからであ
る。しかし、日中比較芸能史が成立するためには、まず、
中国の芸能史が解明されなければならない。『日中芸能
史研究』は、中国の芸能史研究者よりも、むしろ日本の
芸能史研究者にとってありがたい本である。
全体は三編にわかれている。第一編「中国の音楽」は
さらに「古楽から新楽へ」と「漢時代の庶民の娯楽」の二
章から構成される。芸能は神祭りから誕生した。その原
初の段階で、芸能はまず音楽と所作にわかれる。その
ような観点からみて、本書が音楽と雑技から説きあかさ
れてゆくのは意味のあることである。著者の基本的な方
法は、資料重視の実証である。文献と物証の両方が丹
念に検討、分析されて、この編では、殷代から漢代の宮
廷音楽と民間音楽、庶民娯楽の雑技が解明されている。
第二編「中国の芸能」は「中国のサーカス一斑」「中国の
綱渡り」「巫と雑技」「少林寺拳法と雑技」の四章にわか
れる。漢代以降の雑技の本質をサーカスとしてとらえ、
綱渡り、シャーマニズム、武術という三つの視点から検
討している。中国の雑技は、シルクロードを経由して西
域から伝来した外来要素と中国のシャーマンの神がかり
の所作から発展展開した国産要素とがいりまじっている。
著者は周到にその両者に目配りしながら、中国雑技史
の中心部を構成してゆく。本書のなかでも、もっとも読み
ごたえのある、おしえられるところの多い編出ある。中日
比較芸能史の視点から叙述されているのが、第三編「日
本の芸能」「日本の芸能」である。「日・中の散楽-新楽
記の出現をめぐって-」「信西古楽国をめぐって」「でこ廻し
とひさご」「江戸繁昌記の雑芸能」「明治期の民間芸能一
斑」の五章から成り、雑技の日本での展開を明治時代ま
でたどっている。 芸能ということばを中国人は芸術の技
能という意味でもちい、日本の研究者のように神祭りか
ら演劇への過渡期の存在という内容をもたせて使用する
ことはない。したがって本書の題名を中国語になおせば、
『中日音楽・雑技史研究』になるはずである。しかし、日
本にとってはまぎれもない「芸能史研究」である。くりか
えしになるが、本書は中国人よりも日本人にとって大き
な価値をもつ書なのである。
(すわ・はるお氏=学習院大学教授・近世文学・日本
芸能史専攻)
「週刊読書人 2002年2月1日」
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九州大学名誉教授は中国・魏晋南北朝を中心とする
東洋史の大家。が、それ以上にサーカスの研究で知ら
れた。本書の編集の半ばで98に亡くなった後、友人た
ちが遺志を引き継いで編んだ。数ある著作中、芸能史
を扱った単行本は初めてだ.サーカスの源流をたどって
世界各地を概観し、民衆の娯楽・日常生活を考察した。
論の柱をなす中国では紀元前4.5世紀ごろの造型物が
あるといい、 そこにはシャーマニズムや仏教などの宗]
教性が深く結びついているという。やがてそれらは日本
に伝わり、東大寺の開眼供養時の軽業以降、江戸時
代の多彩な雑芸能をへて現代へと受け継がれてゆく。
中国 の音楽、中国の芸能、日 本の芸能の3部構成。
573ペー ジという大著だが、様々な芸能用語を網羅
した索引と参考文献目録は100ページにも及ぶ、初め
て東洋の芸能に触れる者の手引きとしても重宝だ。
朝日新聞 2001年11月17日 ほん欄
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「日中芸能史研究」刊行に寄せて
越智先生との旅の思い出
壮大な主峰と美しい諸峰
1997年4月11日6時32分。ずんぐりで、やや浅黒い眼鏡
の老紳士、同じぐらいの背丈で、額が禿げ上がった色白
の中年男。博多の居酒屋の戸をガタガタ音を立ててあけ
る。ご両人は隅っこの四人掛けのテーブルを見つける。
老紳士は穏やかな雰囲気であるが、時折、回りにチロチ
ロと動かす。中年の男は、相手の顔も見ず、せわしげに
何かをしゃべっている。声が聞こえた。老紳士「いやー、
ジープで1400キロ、タクラマカンを西のホータンから東
の敦煌まで縦断します。そりゃーたっぷり沙獏を見れま
すよ。歴史の研究はこの眼で見ておかないとだめです」。
老紳士は杯を置く。男「話は別ですが、町から離れて、
食い物が無いとか、そういう処に行く時はどうするんで
す?」「タマゴです。世界どこでも、たいてい卵はある。
なまを買うんです。一日や二日は卵で過ごせますよ」。
私はこうしてタクラマカンの縦断の旅に誘われ、梅雨明
けの蒸し暑い日本を発った。団員20名、最高年齢81歳、
60歳以上8名。
旅の10日目。沙獏には道は無い。朝の8時からジープ
に、絶えず激しく揺さぶられる。上に下に、左に、右に。
キャンプ地に着く。急勾配の谷の入り口に近い。時計を
見る。夜の9時24分。沙獏の闇は真っ暗だ。ジープのライ
トに照らし出されたのは、最近起きたと思われる生々し
い土石流の跡だ。私はひどく疲れ、恐ろしくもあった。
夕飯は11時近くになった。「年寄りが多いグループなの
に、こんな強行軍のプランは立てるべきじゃない。それ
はにここは危ないですよ。先生、お疲れになったでしょ
う」。先生は一言も小言は言わない。私に気遣って、た
だ軽くうなずいただけであった。越智重明先生は、それ
からたった一年半で、亡くなられた。数十年にわたり肝
ガンが臓器を喰らっていたのだ。なんとも我慢強い人で
あったことか。
先生の本は必ず折ってある。折れば記憶できるのであ
る。資料のカード、ノートは、一切無い。古代から唐時
代までの膨大な漢籍も、早い時期に読み終え、史料の
所在をすべて覚えておられたようだ。論文は、その折って
ある頁を開いて書いたのである。先生の論文を読むと、
史料が洪水のように押し寄せてくる。理解するのは私な
どには容易ではない。研究・読書は、中国・日本・韓国・
欧米の歴史・社会史・政治史・文化史・経済史・民俗学・
宗教人類学・文化人類学・文学、その他に及ぶ。文献で
とらえられない部分は、足を運んで調査する民俗学、文
化人類学などの手法をとる。その範囲は日本全土(島々
を含む)、ユーラシア大陸各地、アフリカ大陸北部、マ
ダガスカル島、南アメリカ大陸(アマゾン川流域)、オ
ーストラリア大陸、インドネシア諸島、フィリピン、
台灣に及んだ。
先生の研究では、中国中世の政治社会史研究が、主
峰をなしてそびえ、古代史・その諸研究が主峰につらな
る諸峰を形成している。このほど刊行された『日中芸能
史研 究』(中国書店)は、それらの諸峰の一つである。
本書には、日本・中国・西方の古代から現代までのサ
ーカスの図象・写真が挿入され、わくわくする。高い壁の
側面を走っている。少林寺の修行僧だ。目に小刀を突き
刺している。マジシャンだ。二両の車・二隻の船に張ら
れた綱の上での曲芸、今にも落ちそう。筑前博多独楽の
音がブーンと聞こえる。手でもつ扇の上の独楽を凝視す
るお姉さんについ見とれる。古代から近世まで魔術師の
顔を持つ宗教家は少なくない。古くではオシャカ様が大
魔術で人々を惹き付けた。痛快であるのは、多くのマジ
シャンの種明かしだ。
飽くことをしらない強烈な好奇心、桁外れの記憶力、
破格の知的許容力を持つ脳。研究はその器から少しこぼ
れでたものに過ぎないようである。先生にとっては、イ
デオロギーも、百万の興味の一つにしか過ぎない。その
スタンスは最近になっておぼろげながらではあるがわか
るようになった。骨はガンジスに撒いてほしいと、言っ
ておられた。
(きよこば・あずま=久留米大学教授・東洋経済史)
2001年11月16日 毎日新聞 文化 批評と表現欄
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